福井県敦賀市津内に土橋という場所があります。
かつてはバス停もありその地名は今も電柱で見ることができます。
ここはかつてさらし首をする場所だったようで、そこには大きな二つの墓があったといいます。今回はその墓の伝説について見て行きます。
二ツ墓の伝説
敦賀町の土橋の所は、昔さらし首をした所であってここに二つの墓があって、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経と書いてあった。この字は一字一字深く刻まれていて、一字の中へ豆一升以上はいると言われている。むかし或る人が豆や米の商売で非常な金持ちになったそうだが、この人は自分のために働いてくれた馬にもろくに食物を與へなかった。この人が死ぬ時には身体に南無阿弥陀仏と名前とを書いて死んだ所が、其の後敦賀の或る町にその通り書かれた馬が生まれた。そこで其の家の人は主人の生れ変わりだというので其の馬を引き取って養ひ、この馬が死んでからは墓を土橋のところへ二つたてた。これが前記の墓であるといふ。今はこの墓は湯山火葬場の山へ移されてある。
引用:『福井県の伝説』『越前若狭の伝説』
なかなか不気味な伝説に思えます。
馬にろくに食事も与えなかったことから、罰を受けて馬という畜生界に生まれ変わってしまったという話でしょうか。
更にそれをさらし首の土地に墓を建てるというのもなかなかです。
土橋は一つの葬送の地でもあったのでしょうか。
さらし首の土橋
土橋があるのは今の街中です。
アル・プラザ敦賀の西側すぐ近くに、かつて土橋バス停がありました。
今でも電柱を見れば土橋の文字を見ることができます。
ここは旧街道だったのでしょうか、今でも道が湾曲しており昔ながらの道であるかのようにも思います。
近くにある家が建てられていない区間。時計台と花壇がある場所も怪しいのではないかと思います。
さらし首のあった土橋は結構身近にあるのです。
湯山の名号碑
湯山火葬場の山とはまさに湯山火葬場があった、今の湯山墓地です。
ここに大きな名号碑が立っています。
確かにかなり深く刻まれており、立派な名号碑です。
これが果たして二ツ墓の名号碑なのでしょうか。
今では確証はつかめません。
ただし湯山火葬場の山にある、目立った名号碑といえばこれだけです。
後ろに刻銘がありましたが、薄暗くしかも長い年月のためか文字が薄くなっているのでよく見えません。ただ年号には「文」という字が先頭に来ていることはわかります。文政なのか文化なのか。
南無阿弥陀仏の横にはもう一つ古い石碑があります。こちらはもはや何と書いてあるかわからなくなっています。
少なくとも、深く名号が彫られている方は、おそらくは二ツ墓であると思っています。
不気味な生まれ変わりの伝説
福井県の伝説に載っている不気味な生まれ変わりの伝説。
罰が当たったと考えるべきか。どうか。
またこれも一つの戒めの伝説であるかのように思えます。
何かこう、現代社会にも言えるような、必死に働いている社員に給料として還元しない現代の日本の会社にも同じことが言えるかもしれません。
今、さぼっている社員には、まあ、あれですが、必死に働いている社員にはちゃんと給料を与えないと、その会社の社長さんは来世では超ブラック企業の社員として働く破目になるかもしれませんよ…。
参考文献
『福井県の伝説』
『越前若狭の伝説』
基本情報(アクセス)
※湯山墓地名号碑
最寄り駅 | 敦賀駅から徒歩25分 |
自動車 | 敦賀ICから4分 |
駐車場 | あり |
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