石動神。それは山岳信仰で栄えた北陸の神様。
福井県坂井市の下兵庫に舟戸という場所があり、その舟戸にはかつて石動権現(読み方は「いするぎ」)が祀られていたとされます。
福井で石動が祀られているというのは、あまり聞かないのでこれはぜひとも紹介しておきたいと思いました。
しかし残念ながら、現在はその場所にはなくなったようです。ただ、かつてその神社があった場所には墓標が建っているというので、今回は、その神社跡地を探し、現在の祀られている土地へ行こうと思います。
下兵庫の「石動様」
まず、今回の目的を具体的に知るために、下兵庫に伝わる石動様のお話から見て行きましょう。
富山に石動の御本尊があり、その分身が舟戸の北方近くにありました。石動と言う所に石の祠があったそうです。田の真ん中にあったので、昭和三十三年に土地改良のとき、舟戸の神明神社のそばに移したと伝えられています。今尚墓標は立っているらしいです。 参考:『ふるさと兵庫』 |
ざっくりいうとこのような内容です。
この平野ではある時期に土地改良が大々的に行われているので、それでなくなってしまったり、場所を移動したりというのが結構あります。以下の火霊神社もその一つ。
火霊神社の方はいどうして今も現存しますが、石動神の方は社地自体が無くなってしまったのですね。
富山の石動権現との関りも明記されており、さらに神社跡地に墓標が建っているといいます。どこにあるのか、情報は全くありませんが、とにかく探してみましょう。
そして今は、神明神社の近くにあるということなのでこちらもぜひ見ておきたいです。
石動とは
ちなみに石動と言う神様についてですが、石川県と富山県の境にある、古来よりの山岳信仰の山「石動山」の神様です。
名前の由来は流星が関係してるらしいですが、それは他で調べてもらえばわかります。元は仏教系だったので、権現ということだったらしいのですが、後に廃仏毀釈で神社となったようです。
また、富山県には「あいの風とやま鉄道」があり、その路線に「石動駅」という駅がありますね。難解な読み方の駅なので、印象に残っている方も多いかもしれません。その「石動」です。
福井の石動神を探しに行く
石動神の跡地はどこ
さて、本題の石動跡地を探したいと思うのですが、手掛かりをまとめてみましょう。
- 舟戸集落の北にある
- 土地改良で田んぼになった
- 墓標がある
ということだけがわかっています。
舟戸は下兵庫の西にある集落です。
ただ現地に案内があるわけでもなく、一面田んぼ何も墓標などの標柱なんてどこにも・・・
そう思いながら舗装されていない農道を進んでいると、道の脇に何か建っていました。
最初は田んぼに水を引く設備かとも思いましたが、それをよく見ると
「石動神社旧跡」と書かれていたのです。
ネット上にも情報が無いですし、マップにも見つけられませんから、まさか今も残っているとは思っていませんでしたが、本当にありました。
これが福井の下兵庫の地に「石動」があったという証です。
ここに石動の石祠が祀られていたのですね。
こうやって跡地に印を残しておいてくれるのは、本当に素晴らしいことです。この碑の「石動」の文字以外石動を証明できるものはありません。これが唯一なのです。
とにかくここにあったということは証明され、目的の物を紹介できました。
では、現在はその神様はどうなっているのでしょう。「神明神社のそばに移された」とあるので、その神明神社に行ってみましょう。
今の石動神は「神明神社」にあるのか
えちぜん鉄道三国線下兵庫こうふく駅から歩いて13分。
舟戸集落の南東の県道106号線沿いに家数件と林があります。その林が神明神社です。
集落の神社という感じの神社ですね。いくつか大木があり2本に縄が巻かれていたので御神木でしょうか。ちなみにカラスの住家かもしれません。めちゃくちゃ威嚇されました。
社殿の中には祠があり、『新修坂井町誌』によると江戸中期ごろと書かれています。元々その祠を神明社として祀っていたのでしょう。社殿は後に増築したと考えます。
さて、ここの近くに石動神が移されたということですが、どこにあるのか。というか今もあるのでしょうか。
境内には、神明神社の本殿横にこのような建造物がありました。
社標など見当たりませんが、扉はガラスなので中が見えます。この中には石祠がありました。こちらも『新修坂井町誌』に記述があり、境内社として紹介され、祠は江戸中期から後期にかけての物のようです。
ただ『新修坂井町誌』には、この祠について「石動」とは書かれておらず、石動神に関する記述も私が見た限り見当たりませんでした。
なので、この境内社が石動神である確証は得ないままです。
しかし、
- この神明神社にはほかに境内社の記述がない
- 神明社とは別の立派な祠がある
- 郷土史にある「石動は神明神社近くへ移転」という記述
以上の点を合わせると、この境内社が移動されてきた石動神であるという可能性は大いにあると思います。
今回は、この祠を石動の可能性とみて留めておくとします。
現在も伝えられる石動信仰
福井にある石動神の信仰の跡。
それは現在でも神社跡と現在の神明神社に残されており、今の時代の私たちもそれを確認することができます。
土地改良で神社跡や所在が分からなくなってしまった神社もある中、こうやって神社跡の石柱まで立てられ、石動の祠は今も神明神社に残っている祠かもしれないというのは、それほど集落の方が、この「石動様」を大切にしていた証拠でしょう。
これからも、「神社跡」と「祠」の2つの石動がここにあり続けることを願います。
参考文献:『ふるさと兵庫』『新修坂井町誌』
基本情報
石柱の正確な位置は曖昧ですが、集落の北の舗装されていない水路の農道にあります。
舟戸集落北までは
最寄り駅、えちぜん鉄道三国線下兵庫こうふく駅から歩いて17分。
駐車場はありません。
マップへ(マップは神明神社です)
道中には大森古墳もあるので、併せて見ておきたいです。
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