福井県南越前町に夜叉ヶ池という池があります。
標高は1,100メートル。
ここには福井県内で1番有名といっても過言ではない龍神伝説が伝わっています。
今回その伝説の地へ実際に足を運んだので、登山の様子と現地の様子を、「夜叉ヶ池の伝説」を同時に見て行きながら紹介したいと思います。
伝説はものすごく長いので、簡単にしか紹介しないでおきます。やはり、本などで詳しく見た方が入り込めると思いますので、そちらを読んでから見ていただくという方法もあると思います。
伝説は『越前若狭の伝説 杉原丈夫』の「夜叉ヶ池(美濃国諸旧記)」と『福井県の伝説 福井県鯖江女子師範学校郷土研究部』を参考にさせていただきました。
夜叉ヶ池登山 ~池までの様子と夜叉ヶ池伝説を見る
福井側登山口
昔、美濃国(岐阜県)安八郡安次村に安八太夫という大きな長者が富み栄えていたが、ある年大日でりで干ばつになった。 太夫は田で見つけた一匹のへびに、冗談半分でこう言った。 「お前は蛇身ならば、大雨を降らし、田を助けよ。雨を降らせば、何なりとお前の望みをかなえよう。」 その日の夜、大きな蛇体が太夫のまくら元に現れた。 「わたしは今日お目にかかったへびで、夜叉が池に住んでいる蛇王の一族である。蛇王に願って大雨を降らし、田を助けよう。ついては望みがある。あなたが申したように必ずかなえてくださるか。」 太夫は「雨さえ降らせるならば、その願いかなえましょう。」と答えた。蛇はこれを聞くと、たちまち大雨を降らせた。はげしい雨の音に太夫は目ざめ、田作の様子を見に行くと、稲は青々と豊年となった。 |
今回私が登るのは福井側の登山口です。
登山口前には数十台ほど車が停められる広場があり、トイレや入山届の場所もあります。
ただここに来るまでの道は狭いうえに、舗装されていないので運転は気を付けないといけません。
登山口は鳥居や夜叉ヶ池の石碑もありこの時点で雰囲気をかもし出しております。異界に入っていくような感じです。
それより怖いのは毎回のごとくクマさんです。熊注意看板も例のごとくあるので、しっかりと熊対策しましょう。
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道中と滝
登山道はなかなかの道のりです。
途中、谷の向こう側に滝がありました。
段々になっており、それなりの大きさに見えましたが、特に看板もなく、名もなき滝という感じです。ただ、苦しい登山の道中にこう言った滝があるというのは、なぜか励みになるものです。
また登山道は繁る木々の中。ここから何が待ち構えるのか。
山は基本的に水が多いですが、ここは特に多い印象です。シダ植物が多いのです。
翌日、山伏姿の者がひとりたずねて来た。 「わたしは夜叉が池の使いの者である。願い通り大雨を降らせたので、望みを約束通りかなえてほしい。あなたの娘三人のうち、どの女子でもよいから、ひとりをわたしにください。」 と望んだ。太夫は当惑したが、誓ったことは断れず、末娘を呼び出して「家のため、父のために行者のもとへ行け。」といったが、娘は嘆いて断った。二番の娘を呼び、「お前が行け」というと、泣いて拒否した。そのとき機を織っていた総領娘がおりて来て、 「父上の願いに応じて、数万の人の命を救ってくれたことの恩のため、わたしが参りましょう。」 と、少しも嫌がることなく、織りかけの白い布をたずさえて出ていった。父母はしばらく見送っていたが、黒雲が起こり、大雨が降り、水煙が立ちこめて、姿が見えなくなった。 |
さて、夜叉ヶ池の伝説の方も動き出しました。
単独の口約束の為に、自らを娘を犠牲にする。なぜこうなってしまうのか。
誰かが幸せになるためには、誰かが不幸を被る。その不幸を被るのはいつも、誠実に生きている弱い立場の人間です。
道中とトチノキ
途中、ものすごいでかいトチノキがありました。
登山道沿いに案内板があり、その向こうに大きな木がありました。
そのトチノキを見に行くには少し登山道を逸れなければならないようです。ただ、見た感じやたらと草が茂っていたので、そちらにはいかないでおきました。
登山道にある看板で、そのトチノキのことは知ることができるので、そこで見るだけでもいいような気がします。
この案内板によると、「森の巨人たち百選」という中に「岩谷のトチノキ」という名前で入っているようです。
この周りはシダ植物に覆われて、まさに自然の世界を堪能できます。
三日後に娘が突然帰ってきた。「父母がひどくなつかしいので、しばらく暇をもらった。」という。父母はとても喜び、「どこに住んでいるのか。」と問うと、「夜叉が池の水底に宿っている。」といった。 母が「何か嫌な事はないか」と尋ねると、「特に苦しいことはないが、昼に三度、夜に三度。ひるが多く身にまといついて、食い悩まされる。これのみが苦しい。」といった。やがていとまを告げて出て行った。 |
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夜叉ヶ池 ~現地の見所と思いに更ける
夜叉姫祀碑と夜叉龍神社碑
登山道中2転3転ありましたが、なんとか夜叉ヶ池に到着です。
池のわきには、碑がありました。
「夜叉姫祀碑」と「夜叉龍神社」の石碑があります。
ただ昔はこの碑の場所に祠があったようですが・・・。今はなくなっているんです。
後に出てきますが、ここが「夜叉姫」、つまりは生贄となった総領娘を祀っている神社なのですね。
父母は、紅・おしろい・きゃらその他の香具、女子が用いる品物をみやげとして、夜叉が池へ行った。みやげを板にのせて、扇で仰いで押し出すと、池のまん中あたりに達したとき、波が立ち、水中に巻き入れた。 しばらくして娘が現れた。昔の姿と少しも変わらず、互いに無事をたずね合った。父母は「池の中での姿を見せてほしい。」といったが、娘は「こればかりはお見せできない。」と断った。 しかし父母は「ぜひその姿を見せてくれ。」と頼むので、娘は何も言わず水中に入った。やがて逆波が立ち、池が鳴り、娘は恐ろしい大蛇となって現れ、長い角を振り立て、全身うろこにおおわれていた。娘は父母に向かって頭を垂れ、そのまま水中に沈んだ。 父母は嘆き苦しみ呼び叫んだが、それからは、娘は二度と出てこなかった。その後、娘が家へ帰って来ることもなく、父母が訪ねても現れることはなかった。しかし父母は、娘のことを忘れられず、その後も化粧用具や娘の好きな品物を夜叉が池に持参して、前のように扇であおぎ出すと、池の中ほどで水中に巻き入れた。 |
夜叉ヶ池の伝説はひどいものです。物語がひどいというのではなく、登場人物の太夫です。
嘆き悲しむのはいいですが、自分が勝手にやってしまった約束の為に娘は犠牲になったのだ。と、思うわけですね。
「子」とは「親」のなんなのでしょうか。悲哀伝説なのでしょうが、若干の憤りさえ感じてしまいます。
水鏡の美しい、秘境の絶景
夜叉ヶ池にはデッキがあり、そこで座って休憩できます。
そのデッキからは、美しい夜叉ヶ池を思い存分堪能できます。私は登山で疲れたので、そこでしばらく休むことにしました。
そして、たまに風がやむのですが、その時の夜叉ヶ池がまるで鏡です。
美しい青空と、異界のような池と山頂近くの空気で絶景が拝めます。これはすごく神秘的です。龍神伝説が伝わるだけのことはある景色です。
このときは朝早く来ていたので、私一人で満喫できました。
娘が夜叉が池へ行ったとき、持参した織りかけの布は、今も大雨が降ったとき、株瀬川の中に白い布のようなものが、うねうねと見えるといい、その時の布の形だという。 近代でも干ばつになると、夜叉が池に雨乞いをするという。そのとき安次の伝右衛門に頼んで手紙を書いてもらい、内容はただ「雨を降らしめたまえ。」とあるだけ。 その手紙を持って夜叉が池に行き、くし・こうがい・紅・おしろいを添え、板にのせて、手紙とともに池に浮かべ、扇であおぎ出す。池の真ん中あたりまで浮いて行き、水中に巻き入る。すると大雨が降るという。 |
夜叉ヶ池の伝説は、近年も伝えられていたのですね。
悲しい話です。
夜叉ヶ池の生き物たち
休憩所のデッキからは、夜叉ヶ池の水の中を観察することができます。
水中には、ニホンイモリかクロサンショウウオと、この池の固有種のヤシャゲンゴロウがいました。
水は凄い澄んでいます。これはサンショウウオも住みますね。
こんな貴重な生物たちを見れるこの夜叉ヶ池は貴重な動物の宝庫でもあるのです。
山好き、伝説伝承好き、動植物好き。いろんな人の需要に応えることができる夜叉ヶ池。それは愛されるわけです。
夜叉ヶ池の伝説 ~後日談
〇南条郡神山村池ノ上彌平にからまる伝説 彌平の娘は大蛇となり、雄蛇が焼死したため夜叉ヶ池に移った。しかし既に美濃国から来た雌蛇がいて、互いに嫉妬深く仲良く生活することが出来なかった。雄蛇はこれを見かねて一方を制したいと思い、鯖波街道に出て大蛇の姿で道に横たわった。そのために通行人は恐れて近寄らず、退治する者もなかった。 ある日加賀藩の武士が、藩金を江戸に納付する使命で道を急いでいたが、大蛇が道に横たわっていた。君命の重いこと、意を決して大蛇を飛び越えると、大蛇は山伏に姿となって、こう言った。 「私を飛び越えた勇気と度胸に信頼して頼みたい。もし命に背くならば汝の命を断つ、従うならば汝の使命は我が引き受けて約束の時刻までに届けてやる。我は夜叉ヶ池の雄蛇だが、衆民の災厄を救うた功によって、姫を一人夜叉ヶ池に連れて帰った。しかし雌蛇が二匹蝶となって争うので一匹を制したい。腹の赤い蝶を射止めよ」 使者は従い、廣野で一週間程弓の練習をして、池にて腹の赤い蝶を射止めた。帰る時に一週間余り世話になった廣野の的場という家に弓を記念として置いて行った。 腹の赤い蝶というのは在来の雌蛇(美濃の娘)だった。 |
こちらの夜叉ヶ池の伝説は、岐阜の美濃に伝わる伝説とはまた別で、福井県側で伝わっている弥平蛇池の伝説です。
いや、なんというか、太夫もひどかったが、こっちもひどいな。という印象です。
在来の雌蛇・・・、つまり「夜叉姫」のことでしょう。
わざわざ生贄としてきた娘を、後で来た女と揉めるからと言って邪魔になったので、その生贄の娘の方を制したということでしょうか。
この夜叉ヶ池の伝説関連は、この美濃の娘の不憫さを徹底的に伝える伝説のような気がします。
まあ、伝説で面白い方向に話が進むのは常ですが・・・、それにしてもここに出てくる男たちが皆最低過ぎる・・・。
越前に伝わる伝説が後日談なので、もとの美濃に伝わる夜叉ヶ池の雌蛇を美濃の嫁さんではなく、越前の嫁さんに上書きするという意味もあったのではないかとも思います。
まあ、いきなり「蝶になって争う」というのも飛躍しすぎているような気もしますし、もとあった夜叉ヶ池の伝説にのっかった感じなのか。
ただ、どちらにせよあくまで伝説ではあります。
※ほかの本では、腹が青い方を制する話もありました。
やはり地域によって伝説は変わります。それが面白い所です。
また、武生の龍泉寺には「龍の牙」なるものが伝わっています。どうやら、この夜叉ヶ池の雄龍の牙だということです。新春法要の際に御開帳されましたので、そちらも記事にしました。
この龍の牙の伝説では、さきほどの弥平の娘の話で、今回紹介した伝説と少しニュアンスが違っていました。
本妻を仕留めたのは雄龍でなくて弥平の娘の方だったり、焼死した大蛇が夜叉ヶ池の雄龍だったりといくつか違います。そちらの方も楽しんでもらえたらと思います。
さらに、この蝶を射止める話の「弥平蛇池伝説」について、その蛇池という物も現存しており、口伝では夜叉ヶ池と繋がっているとも伝わっているのです。そちらの池の記事もあります。
夜叉姫の話
さて、話は戻って、美濃の娘が仕留められたとされていますが、先ほどもあった通り、ちゃんと美濃の娘に手紙を書き、雨乞いをして祈る神事は続いているわけですから、美濃の娘はまだ、この夜叉ヶ池にいるということなのでしょう。
それにもう一つ夜叉ヶ池関係で、「夜叉姫」にまつわる言い伝えもあります。
干ばつの時に雨を、霖雨の時に快晴を願うときは、夜叉姫の名を呼んで願われると聞き届け、女神の事であれば又女の願一切は申すまでもなく、如何なる不治難病と雖(婦人病)必ず全治せしめると。男子と雖も夜叉姫の名を呼んで頼めば、一代に一度の願いは如何に無理難題でも聞き届けるという。 引用:『福井県の伝説』 |
夜叉姫は、やはり女性に徳のある神様なのですね。
今も夜叉姫はここに祀られ続けています。
伝説ですがね。
まあ、だからこそ面白く見れるわけです。
池を上から見るため山頂への道へ
夜叉ヶ池を上から見ることもできます。
夜叉ヶ池沿いに遊歩道があり、そこから山頂の方へ登れます。
ただ、尾根が結構険しいく、足場も狭く危ないです。完全に崖なので、多分落ちたら終わりな場所です。
だから夜叉ヶ池に気をとられ過ぎて注意を怠らないように。
ただ、ここからの眺めは最高でした。
山々の中に、ぽっかりと開いた深い池。これはまさに龍神が住んでいてもおかしくないと思うレベルです。
ここから伝説が生まれるのも納得です。龍神伝説にもふさわしい場所でしょう。
夜叉ヶ池は一見の価値あり。特に上からの景色。
ただ本当に気を付けてください。責任は負えません。
伝説と伝説の地
まあ、夜叉ヶ池伝説の捉え方は人それぞれ。伝説と割り切るのもまた良し。
ただ、その伝説の伝わる土地に行く、又は見るというのは、どんな伝説にしても魅力的なものです。
そこには、とんでもなく珍しい物や絶景が広がっているかもしれませんからね。
参考文献:『越前若狭の伝説』『福井県の伝説』
基本情報(アクセス、駐車場)
山開きは例年6月初旬。
通行止めは11月20日前後あたりからです。
標高は1,100メートル。
アクセスは、今庄ICから自動車で40分。途中、舗装されていない道があるので、注意してください。
駐車場は十数台分あります。
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