福井県若狭町鳥浜にとある伝説が伝わっています。
我が子を鷲に連れ去られる悲哀の話。その舞台となった川や土地は今でも痕跡を残し地名となっています。
伝説
一ツ橋
鳥浜の南鰣川(はすがわ)に架けてる小橋である。昔、南前川の某が、赤子を畚(もっこ)に入れて桑を摘んでいた。其の時何処からか大鷲が来て子をさらって行ったので、母はこれを見て気も狂わんばかりに鷲の後を追いかけた。鷲は雲井(此の地の名)の大木(俗にたもの木という)に止まった。母は走ってそこに行ったが、鷲は遠く去って復た見えなかったので悲歎の極、賴みを波に寄せて詠んだ。
天さかる雲井に遠き一ツ橋
我が子をかへせ沖の白波
引用:『福井県の伝説』
伝説は、はす川の一ツ橋から雲井までの所を指すようです。
地理
三方湖に南から注ぐ川がはす川です。
このはす川沿いにあるのが鳥浜の集落になります。
鳥浜は大きな集落で三方湖の南東に位置し三方駅の近くです。いまはショッピングセンターレピアがある場所です。
かつてのはす川と改修工事
かつてのはす川は今の様子とはだいぶ違っていたようです。
『わがふるさと鳥浜』にはこのような文があります。
古来はす川は、川幅が狭かった為少しの洪水でも堤防が決壊し人家農作物に多大の被害を受け、区の損失は莫大であるので、この大きな被害を食い止めるべく県に請願して大改修に着手したのである。
(略)
はす川河口の新旧合流工事
はす川は河口付近及びその上流において極度に蛇行し、周辺の農地は、毎年繰り返される冠水と流木土砂の流入で、目に余る災害を蒙ってきており、まことに憂慮すべき状況で経過してきた。
引用:『わがふるさと鳥浜』
自然の川という感じだったのですね。
こんなことがあり、何度かこのはす川は改修工事がなされているようです。
ですからはす川に架かっていたという「一ツ橋」という物がどこにあったかというのはわからないということになります。今の橋の名前にもなっているようでもないですし、字名というわけでもないようです。
伝説の中で母が子をさらわれた一ツ橋は何処かわかりませんが、このはす川付近になるということです。
雲井
伝説のもう一つの舞台となった雲井は場所がはっきりとしています。
字名として残っているからです。
『三方町史』によると、雲井は60字であるということがわかります。
その60字がどこかというとこのあたりです。
よく見ると、川の跡みたいですね。もしかすると、はす川は昔此処を通っていたのかもしれません。雲井ははす川沿いにあって、伝説の地ははす川沿いで起こったことということでまとまりそうです。
川のようにカーブしているのが分かります。
今ではタモノキは見当たりませんが、大木はありました。ここに一つだけある大木はまるで伝説を思い起こされるような気分になります。
近くには鳥浜酒造さんがあります。
立派な煙突を供えているかなり古い作りの建物です。
ここまで来ると雲井ではないですが、この周辺は見どころがあり伝説にとどまらない土地です。
子を連れ去られる伝説
子どもを連れ去られる伝説はこの一ツ橋以外にも取り上げたことがあります。
日野山のトンビ岩伝説です。
あれも母親が気が狂ったように追いかけています。ただあの伝説では色々と違う結末になっているので是非見てみてください。
トンビ岩|日野山の牧谷越の峠・萱谷コースにある岩の伝説【福井】
https://kofukuroman.com/hinosan-tobiiwa/
トンビ岩への行き方も書いてあります。ここは「トンビ岩」というはっきりした現地案内があるのでわかりやすいです。
それはそれとして、この子が連れ去られる話。こんなに離れた土地に似たような話があったということは、昔は結構あった事象なのでしょうか。
トンビ岩伝説の時、私はてっきり「子を放っておくと危ないから親は目を離さずに気にかけているべき」という暗示というか教訓みたいなものだと思っていました。おそらくそれはあるものと思います。
ただ、実際にそれ鷲にさらわれるという事象も実際に起っていたからこそこんな伝説が離れたそれぞれの地点に伝わっているということなのでしょう。
今では鷲にさらわれるなんてことがあるのかわかりませんが、小さい子どもから目を放して放っておくと取り返しのつかないことになるという教訓はこれからの時代も伝え続けなければならないのではないかと思います。
参考文献
『福井県の伝説』
『わがふるさと鳥浜』
『三方町史』
基本情報
最寄り駅 | JR小浜線三方駅から徒歩14分 |
自動車 | 三方五湖スマートICから2分 |
駐車場 | なし |
コメント