福井県勝山市遅羽町比島にいろいろな意味で恐ろしい伝説があります。
一つは飛脚が追剥に襲われ、殺され、亡霊が火の玉になりさまよう、そんな伝説です。人間の恐ろしさ、霊的な怖さを兼ね備えた、地元に伝わる短い言い伝えです。
もう一つは不気味な伝説。傘に化けるジャの伝説。現地には伝説中にある淵の名残のような場所も存在しています。
五郎右衛門淵伝説
五郎右衛門淵
勝山駅の近く川上石松氏の宅の右側に、直径九尺程の水溜があって、よしがつくつくと茂っているが、年々土に埋もれて小さくなっていく。此処はもと大きな九頭竜川の淵であったという池である。昔五郎右衛門という飛脚が大金持って福井の方へ急ぐ途中、この淵のあたりを通りかかった。すると何所にかくれていたか、不意に追剥が出て来て、五郎右衛門を殺して大金を奪い取り、此の淵に投げ込んでしまった。それ以降は夜になると、この淵のあたりに五郎右衛門の亡魂が、火玉となってふわりふわりとさまよったのである。
引用:『福井県の伝説』
一説によれば、金をとられた五郎右衛門は、途方にくれて、その淵に身を投げた。
引用:『越前若狭の伝説』
この伝説の池は既にどこにあるかわからなくなっています。
『福井県の伝説』出版昭和11年時点で直径三メートルで徐々に土に埋もれて言っているということなので、もうすでに埋もれてなくなっているのかもしれません。
傘淵の伝説
非常に深くて気味の悪い淵があった。池の主は大きなじゃで、天気の良い日などは傘に化けてぽっかり浮いていたという。ある時、雨が降り続いて九頭竜川が氾濫し、濁流がこの淵めがけて襲い掛かった。じゃは馬の頭ほどの首を上げて川下に流れていったという。傘が浮いていたことから傘淵といわれるようになった。
引用:『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』
『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』には、30字下傘屋、31字下傘岩、32字傘島中谷という三つの傘のつく地名があり、どうもそれが今の勝山駅付近のようなのです。
ひょっとしたら、五郎右衛門淵と傘淵は、近くにあった者同士の淵なのかもしれません。
淵の名残か
これらの付近に同じような池がまだ残っています。なぜこんなところに池があるのか不思議になる場所にあります。

池はそれなりに大きいです。なので直径三メートルの五郎右衛門淵ではないことは確かだと思います。
しかし、これもおそらく淵の一部かその兄弟的な存在なのではないかと思います。
それは整備され、駐車場や工場、店舗、駅、ロータリーなどが密集する勝山駅周辺で残っている不思議な池。
と言いながら新しくできたただのくぼ地なんてこともありますが、私はおそらくは古くからの淵の跡だと思っています。
飛脚は大変な仕事である
飛脚が何らかの不幸になる伝説はたまにあります。
中でも大野の裸半兵衛の墓伝説はだいぶつらいものです。
今回はそれに近づくほどの不憫な伝説でした。
大変な仕事だったのでしょう。
参考文献
『福井県の伝説』著者河合千秋 出版昭11
『越前若狭の伝説』著者杉原丈夫 出版1970
『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』出版1974
基本情報(アクセス)
※伝説にある直径三メートルの池は不明ですが、今回私が訪れた九頭竜川の淵の名残であろう一部へのアクセスを記します。
最寄り駅 | えちぜん鉄道勝山駅すぐ |
自動車 | 勝山ICから6分 |
駐車場 | あり |
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