福井県あわら市旧金津町八日に「馬面(ばべん)のばば」という赤猫伝説があります。
今回、その民話を見ながら聖地を巡り、赤猫が祀られていたという神社跡や事件が起こった現地の今を紹介します。
金津赤猫伝説の概要
この伝説は、福井県あわら市の旧金津町、芦原温泉駅界隈の町に伝わる伝説です。
「馬面のばば」「馬面のかか」「馬面の赤猫」「猫股」などと言われ、いわゆる「化け猫伝説」になります。
金津のある家で起き始めた怪奇な物事から、化け猫の騒動が始まります。
芦原温泉駅周辺に、今も物語で語られる聖地が各所存在するので、早速現地を見ながらその物語を見ていきましょう。
伝説「馬面のばば」と聖地巡り
参考資料は『越前若狭の伝説』『福井県の伝説』です。
八日馬面宿屋の怪
金津にばべん(馬面)という姓の家が三軒あり、うち一軒は八日の宿屋だった。あるとき、大聖寺(加賀)の武士がその宿に泊まった。夜食事が出されると、膳の上の魚に歯の跡がついていたので、宿の者を呼んで取り返させた。宿の者は恐縮して「この栄ではこういうことがたびたびあるので困ります。」といった。
現在、金津で「馬面」と言えば、御菓子屋「馬面昭栄堂」さんを思い浮かべます。えちぜん鬼瓦や水ようかんで有名なお菓子屋さんです。
しかし、どうもこの馬面の宿屋は馬面昭栄堂さんとは違う所のようなのです。
あわら市郷土歴史資料館さんに問い合わせたところ、今の馬忠呉服店さん付近ではないかということでした。
天保10(1839)~弘化3(1846)の「北金津の家並み図」には、この辺りに宿場があり、馬忠の名もその図の中にあるのだそうです。
この辺りの区は「八日」です。
なので、伝説が伝わるという地区にも該当します。
ちなみに馬面昭栄堂があるのは、十日よりさらに東の水口あたりですので、位置的には馬面昭栄堂の場所ではなく、宿屋があったのは、この馬忠呉服店さん付近だったのでしょう。
伝説にも、「金津には馬面が三軒ある」と言っているので、そのうちの一軒が馬面昭栄堂で、一軒がこの宿屋、もしくは馬忠呉服店なのかもしれません。
さすがにそんなことの確認だけの為に呉服店さんへ突撃するのもご迷惑な話なので、私はここ馬忠呉服店を推定地としておさめておきます。
千束一里塚での襲撃
金津には一匹の赤猫がいた。この猫は毎夜家を出て夜更けに帰っていたが、ちょうど加賀の武士が宿に泊まった頃に、千束の一里塚付近(牛の谷峠とも)を通行する者が毎晩何者かに害されて、人々は恐れていた。武士はこれを聞いており、その害を除こうとある夜一里塚の木に登って待っていた。
すると、数匹の猫がきて、一匹が音頭を踊って楽しそうに踊っていた。すると一匹が
「今晩は馬面の老婆はなぜ遅いのか」
と言い始めると、ちょうどその時馬面の老婆がきて、皆手をつなぎ踊り出した。
武士は息をひそめていたが、遂に見つかった。老婆は激怒し、頭に鍋を被って木を登り襲い掛かってきた。しかし武士は冷静に老婆の背中を刀で刺した。老婆は痛みに耐え、木を下りて逃げ帰った。
千束一里塚は金津の街中の北にある千束山の一里塚です。当サイトでも取り上げています。
現地の様子も撮っているので、詳しく見たい方はこちらで周辺の様子を見られます。
ここで武士は赤猫と対峙したという事です。
木に登って、そこら縁で赤猫が踊っている様子を見ていたというのですから、そんな愉快な猫たちだったのかと・・・。まあ、でも愉快なものたちが他人に迷惑をかけるというのは今でもよくある話ですからね。
今でも千束一里塚には大木があります。
昔はあと2本大木があったようですが、武士が登って赤猫と対峙したのはどの木なのでしょうね。
今残っている木だったらかなりロマンがありますね。そう思っておきましょう。
ただ、一応伝説でも書いた通り、対峙の場所が「牛の谷峠」という説もあります。この峠は今は気軽に行ける場所ではなくなりました。
赤猫を祀った白山宮と猫祭り
武士はその後夜明けを待って、馬面の宿に引き返した。
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展開1
その宿屋を捜索し、「このうちに婆さんはいるか」と尋ねると「昨日便所で縁側から落ちて怪我した。」といわれ、その見舞いに行くと、ばあさんは正体を現し、窓から飛び出して逃げた。町中を探したが、ついに見つけられなかった。
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展開2
馬面の家を調べると、その家の老婆が赤猫であることが分かり、今までの罪を攻めてこれを切った。
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展開3
馬面の家を捜索すると、老婆の部屋で背中から大量の血を流して死んでいる赤猫を発見し、老婆の正体が赤猫であったことがわかった。
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金津の馬面に古くからいた猫が、その家の婆さんが死んだときに、死体を縁の下に隠し、自分が婆さんに化けて、よみず帰り(生き返り)をしていたのであった。その後、赤猫の祟りを恐れて白山神社を建てて祀った。(元あった白山神社に弔い祀った。)この神社の祭礼を「猫祭り」という。
いつもの如くパターンがわかれましたが、最後は白山神社に祀って、祭礼が「猫祭り」と言われていたことは同じでした。
ではこの白山神社はどこにあるのか。
実は現在、この白山神社は無くなっており、金津神社へ合祀されています。
ただ、それでもやはり元あった場所が知りたい。
というわけで、先ほどと併せてあわら市郷土歴史資料館さん聞いていました。
『越前国名蹟考』の中に「金津宿図」が載っており、その図をみると「白山宮」と見え、八日町にあったことがわかります。
という事でした。
これも八日町。この赤猫伝説の地は「八日町」がメインなのです。
『新訂越前国名蹟考』を見てみると、たしかにその地図が載っており、
◎白山社 同(北金津)八日町山手にあり
と書かれていました。
ただ少しこの地図が見にくく、明確な場所がわかりませんでした。
しかし『金津町の史話と伝説』という書にこの地図を改めて書き直している図を発見し、これが凄い見やすいのです。
なので、これをもとに私も図を書いてみました。
これが見よう見まねで書いた地図です。
重要なのは、現在と昔で他の寺社の位置が変わっていないという点です。ということは、「永臨寺」というお寺のすぐ横に隣接してあったという事になります。
永臨寺です。
そしてその左側が白山宮のあった場所のようです。
もしかしたら境内にあったのかもしれませんが、とりあえず敷地の隣接地を見ておこうと思います。
空き地でした。
これは白山宮の跡でしょうか。ただ最近の空撮を見ると、どうも近年までここに住宅っぽい何かの建物があったようです。
すぐ横には、
上八日バス停があり、正面に稲荷神社がありました。
ここがもしかしたら白山神社のあった場所か?とも思いました。
地図には「稲荷」が載っていましたが、この稲荷は稲荷神社ではなく、「稲荷山」の事を指していると思われ、ひょっとするとこの稲荷神社の前身・又は一緒な敷地に白山神社が祀られていたのかもしれません。
ちなみに小道があったので、永臨寺横まで抜けてみると、さらにお寺横に空き地がありました。ここもつい最近まで家らしきものがあったようなので、神社跡だから空き地になっているというわけではなさそうです。
ただお寺と隣接していたことは間違いないので、この敷地の辺りに赤猫を祀った白山神社があったのでしょう。
福井震災から金津神社へ
白山神社は、昭和23年の福井大震災で倒壊しました。
その後、他の同じく倒壊した市姫・金山・春日を合祀して、現在の金津神社に祀りました。
金津神社の鳥居横に説明板があります。
その説明板に「白山神社」の文字が書かれています。
ここでやっと、白山神社に会えた気がします。
今、金津神社で有名な祭りと言えば「金津祭り」です。
この金津祭りの事を、一部の地域の人は「猫祭り」と呼んでいるのだそうです。
そう、伝説の最後に出てきた白山神社の祭礼「猫祭り」です。
文献において確実な証拠はありませんが、あわらの民話に詳しい『活芦塾』さんに問い合わせたところ、
白山神社は合祀されているという事で、未だに一部でそう呼ばれているのだそうです。
との回答をいただきました。
これはとても素晴らしい事と思います。その「名」を呼ぶ人がいるのなら。たとえ白山神社がなくなっても、「猫」の名を呼べるのなら、これは今後も別名として残してほしいものです。
金津を象徴する妖怪・キャラクターになってほしい
今回の赤猫・猫股「馬面(ばべん)のばば」の伝説は、化け猫というメジャーなジャンルでありながら、聖地も巡れる地域性に富んだ伝説です。
今、芦原温泉駅周辺と言えば何があるでしょうか・・・。
金津神社や良いお店は沢山あれども、その町を引っ張っていける誰かはいるでしょうか。
私は、このメジャー級の妖怪伝説「赤猫・化け猫」を少しずつでもいいので、前面に押し出すべきだと思います。
金津の街中に根付くこの伝説は、きっと親しまれる存在になってくれるはずなのです。
金津と言えば「ばべんの赤猫」。そういう象徴というかキャラクターになってほしいと、私は思いました。
情報提供・協力
『あわら市郷土歴史資料館』
『活芦塾』
参考文献
『越前若狭の伝説』
『福井県の伝説』
『新訂越前国名蹟考』
『金津町の史話と伝説』
基本情報(アクセス)
千束一里塚
最寄り駅は、芦原温泉駅から徒歩24分。
自動車では金津ICから8分。
駐車場は空きスペースがあります。2台が限界かと思います。
馬忠呉服店付近
※あくまで推定ですので、馬忠呉服店さんに突撃しないようにしてください。
最寄り駅は、芦原温泉駅から徒歩11分。
駐車場はありません。
白山宮跡(推定)
最寄り駅は、芦原温泉駅から徒歩10分。
駐車場はありません。
金津神社
最寄り駅は、芦原温泉駅から徒歩9分。
自動車では、金津ICから8分。
駐車場は境内にあります。
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