青葉山へ登山|中山登山口から今寺への神社周回コース【福井県】

当記事には広告(商品リンク、旅行予約リンクなど)を掲載しています。
※ステルスマーケティング防止のため

青葉山望む

富士なくば富士とや云わん若狭なる青葉山の雪のあけぼの

青葉山
福井県高浜町と京都松尾寺との間に位置する山。
若狭から見ると富士のようだというので、「若狭富士」の異名を持ちます

今回、この青葉山に登ります。
コースは中山口から東峰、西峰、そして今寺へと降りる福井側周回コースで、馬の背岩場などの見所名所、青葉山にある神社を巡り、少し伝説の伝わる地も見ていきます

まずは、東峰まで行き、途中伝説や小話を挟んで、西峰へ行きます。

青葉山について

まずいつもの如く、青葉山についての基本的な情報を見ていきます。

登山の様子が見たい方は、
青葉山登山[まずは東峰へ]>>
へ飛んでください。

山頂は西峰と東峰の二つ

  • 西峰標高:692m(現地看板&国土地理院地図)
    『山々のルーツ』では699m。
  • 東峰標高:693m(現地看板&国土地理院地図)
    『山々のルーツ』では720m。『高浜町誌』では699m。


なんかいろいろあったのでしょう。
国土地理院地図と現地看板に従っておきます。

『山々のルーツ』によると、新生代に噴出した安山岩でできた山で、四百万年前数回の火山活動によるコニーデ型火山(成層火山)です。

富士山などの一番火山らしい火山の形ですね。ただ、青葉山の噴火口は青葉山ではなく、内浦湾らしいですが。

若狭から見ると、きれいな三角の山に見えることから、別名は「若狭富士
ちなみに京都側からは全く「富士」っぽくないです。

山頂付近には集塊岩が露出して奇岩海岸が多くある」と言います。

青葉山には別称がいくつもあり、「弥山(みせん)」「以弥山」「御浅嶽」「双子山」「鋏山」「扶桑馬耳山」「屏風山」「青羽山」などがあるといい、先ほどの地質の話から地理学界では「化石火山」ともよばれているようです。

そして修験の場として泰澄大師が開いたようです。泰澄は白山を開いた人ですね。

では、その山を登っていきましょう。

青葉山登山[まずは東峰へ]

中山登山口と青葉神社鳥居

青葉山中山登山口

青葉山のメイン登山口になるであろう中山登山口

登山届け出、山の説明、地図など一通り設置してあります。

駐車場はすぐそこなので、すぐに登り始めます。

昔は廃れていたらしく、メインは高野口だったそうです。(『山々のルーツ』による)

青葉山鳥居

入口からすぐに「青葉神社鳥居」があります。

ここから修験の山が始まるという、霊地の境界のような雰囲気をかもし出します。

序盤道中の杉林と奇岩

青葉山序盤奇岩と杉

しばらく杉林を歩くことになります。

すでにその杉林の中には巨石巨岩奇岩が多く、異様な雰囲気です。

途中休憩所があります。

序盤の自然

岩に寝そべるように。
謎の妖艶な木と岩の光景です・・・。

こういった見ごたえのあるものが序盤からたくさんあるのでぜひ景色を楽しみながら登っていきたいです。

展望台

展望台

杉林を越えると展望台が現れます。

若狭方面を展望するのに一番良い場所はおそらくここです。

若狭湾を望む

ここから見る若狭湾は最高です。

青葉山でも、ここが最後の若狭展望所となるでしょう。

とにかく景色が良いので、一度は見ておきたい光景です。

金比羅神社(青葉神社前宮)

金比羅神社

展望台を登り始めてすぐに社に到達します。

「金比羅神社」です。

祭神:大物主命
『山々のルーツ』では、金比羅神社は青葉神社の前宮でもあるという。
『福井県神社誌』では、「事比羅神社」とあり。

金比羅の石

謎の石。

手水舎の役割でしょうか。

金比羅の祀り石

明らかに祀られているであろう石。

社の斜め前に置かれています。凄く意味深です。

金比羅広場

この広場には休憩スペースもあり、ここで一休みもできます。

下の展望所よりも日陰が多いので、こちらで休憩する方が良いかもしれませんね

『山々のルーツ』によると、この金比羅社の少し先に、青葉山唯一の水場があるらしいですが、なかったです。

馬の背

急な階段の登りが続き、それが終わるとついに「馬の背」という恐怖の場所につきます。

馬の背へ

岩の上を行くところです。

この馬の背の手前に「天狗杉」というものがあるようですが、今どれかわかりませんでした。というより見ている余裕がありませんでした・・・。

馬の背から展望

馬の背から高野今寺小和田方面展望です。

怖すぎです。断崖絶壁です。立てません。私は這いながら進みました。他の方は普通に立って歩いていましたが、とても無理です。高所恐怖症なのですね私は。

馬の背の光景

右側は垂直落下です。無理です。怖いです。

ちなみに、左側に安全な迂回ルートが用意されていました。

馬の背の上

這いながらも撮りました。

溶岩でできたであろう岩肌。火山であったという事を肌で感じます。這っているので。

行者岩?

東峰手前案内

さらに進むとついに東峰手前につきますが、この道しるべの神社方面反対側には謎のスペースがあります。

行者岩?

謎の人工物と巨岩。そして展望。

『山々のルーツ』に「行者岩」というものが、東峰手前にあるとのことで、よくわからなかったのですが、ひょっとしたらこれの事なのかもしれません。(確実ではないですが)

それにしても左の謎の人工物が気になります。

青葉神社(東峰)

何はともあれ、青葉山東峰山頂と青葉神社は道しるべに沿ってすぐそこです。

青葉神社階段

休憩所を通り過ぎると参道の階段の先に社が見えています。

東青葉神社


こちらが正面ではないのか?
とも思いましたが、全方向締め切っています。中身見れませんね。

とにかく、ここが正面でしょう。

祭神:伊弉諾尊、椎根津彦(青海神社分霊)
泰澄大師養老三年(719)に加賀白山の御分霊を勧請し祀った。東の権現は中山村観音(中山寺)の奥の院であるといいます。
『福井県神社誌』によると、五穀成就の祈願所で崇敬され、旧領主浅野長政により再建、さらにその後坂井忠隆によって補修されたといいます。

灯籠があります。

灯籠2

なかなかの年期物です。

かけたり風化したりしています。長年の模様もついていますね。

土台には文字が刻まれています。世話人や施工主ですかね。

灯籠1

奥の灯籠は、なんかすごいことになっています。

崩れてしまったのでしょう。

東峰山頂

さて、この社の横を通り回り込むと、社の後ろ側にさらに登れるところがあります

その先を少し登ると、山頂です。

青葉山東峰山頂

693m山頂です。こちらも古そうな灯籠だった物があります。
先ほどの社が中央左の物です。

この山頂、前に人が登ったので気付けましたが、とても分かりにくいです。

社の所にも青葉山の立て札があるので、そこが山頂と間違えてしまう方もいるのではないでしょうか。

せっかくなので、ここまで登ってきたいところです。

青葉山の伝説

さて、少しここでブレイク。伝説タイムを挟もうと思います

伝説タイムといっても、この記事とても長くなってしまったので、別記事で伝説まとめました

この青葉山は昔は「魔所」とされていたようで、『山々のルーツ』によると八合目から上の奥の院からは神聖視されており、古くは誰も登らなかったようです。

そんな場所なので、いろいろと不思議な伝説や有名な伝説が伝わっています。

「土蜘蛛伝説」「人魚伝説」「空を飛んだ蛇」「キツネ狩り」などありますので、興味ある方は見てみてください。

(当初は、ここの記事内で紹介する予定だったのですかね・・・)

青葉山登山[東峰から西峰へ]

西峰へ

さて、社の後ろからさらに西の峰への道しるべが立っています。

行くとしましょう。

奇岩巨岩エリア(大師窟?)

峯の間1

東峰から西の峰への道を下っていくと、奇岩巨岩のエリアに差し掛かります。

しかもこれが恐ろしい場所なのです。

というのも、そこかしこに真っ暗な穴が開いており、落ちたら終わりなのでしょうね。

峯の間2

岩は明らかに火山性。全部マグマだったのでしょうか。

そしてこの穴たち、どうしても富士山の溶岩洞穴を思い起こします。違うかもしれませんが。(地質は全く詳しくないので、素人の妄想です)

冒頭で説明した通り、富士山と同じコニーデ型火山(成層火山)であるといいますし、『山々のルーツ』では「山頂付近には集塊岩が露出して奇岩海岸が多くある」とも書かれているのはこれの事なのでしょう。

峯の間3

先ほど「青葉山は魔所」ともいっていましたが、この場所を見るとそれを感じることができます
「こういったところが土蜘蛛の住家だったのかな」とか考えてしまいます。伝説ですがね。

そして、『山々のルーツ』にはさらに、この辺りが「大師窟」というものがあると記載されています。

東峰から西へ向かう牛の背の前に、泰澄参籠の伝説があり、集塊岩の露頭や絶壁がある。

多分ここら辺の事と思います。

修験の山としては最高の場所だったのかもしれませんね。
『山々のルーツ』にはさらに、「毎年6月6日山伏を先達としてホラ貝を吹き鳴らしつつ登る。」ともあります。

恐怖の「牛の背」「くさり場」

牛の背へ

奇岩巨岩エリアの先には、明らかにヤバそうな雰囲気をかもし出す階段が出現します。

ここから馬の背に勝るかとも思われる恐怖地帯が始まります。

牛の背へ2

空が青いです。

牛の背頂上
牛の背

最初にこの道を作った人は、なぜいけると思ったのでしょうね

牛の背下り

こんな道があるので、青葉山へ登る際は十分に検討してください。

 

牛の背余韻

って、まだある。

牛の背終わり

しかし、怖い事ばかりではないです。

しっかり展望が良くなってきます。

修行地帯

巨岩を下りる

正直少し楽しいです。

なんだか少年時代のアスレチックで遊んだような感覚になれるのでしょうね。

命がけですけど。

道中、神々しい自然達

分岐

謎の分岐。

せっかくだから私は上の道を選びます。

体内くぐり?

体内くぐり?

大岩をくぐりました。

いつの間にか下のルートとは合流しているのでしょうか?

神杉

なんだか神々しい杉がありました。

根元で大量に枝分かれして、それぞれが天に向かって伸びています。

神だ。

西青葉神社

山頂広場

西青葉神社につきました。
ここが山頂広場です。社の上に見えているのが山頂ですね。
まずは神社についてみていきましょう。

祭神:伊弉册尊、菊理比咩命
東の青葉神社と同じく、泰澄大師養老三年(719)に加賀白山の御分霊を勧請し祀った西の権現は松尾寺観音の奥の院であるといいます。

私の大好きな菊理媛

西峰青葉神社

白山に祀られる「菊理媛」「イザナギ」「イザナミ」が祀られている青葉山は、本当に白山と密接ですね。

この西青葉神社については、過去にいろいろとあったようです。
消し去りたい過去かもしれませんが、私は書きます。

西青葉神社の所有について、元々今寺の所有だった。長久3年(1042)頃から祭祀料として松尾寺に依頼していた。その後元禄六年に松尾寺が若狭国から丹後国になり、同時に西青葉神社の所有も丹後松尾寺の奥の院として実質丹後国の所有となっていた。明治維新で地券制度が施され、神仏分離が行われた。この際、西青葉神社の所有権をめぐって松尾寺と今寺との間に大論争が生まれ、明治11年ごろが最も激しかった。今寺は青郷総出で西青葉神社を破壊。松尾寺はこれに対し宮津裁判所に告訴。今寺区民は宮津裁判所に呼び出される。明治12年6月26日、今寺の首謀者2名に懲役70日、9名に懲役30日の判決が下ったが、青葉神社の所有権は今寺の物と認められた。事件後、今寺は改めて加賀白山比咩神社から分神を請け、祭祀している。
明治以降は陸軍要塞地帯となった。
参考:『わかさ高浜史話』

この西青葉神社からは、その青郷地区と若狭丹後の境界「吉坂峠」付近を見渡せます。

青郷展望と水

そして謎の水溜り。

明らかに人工的に彫られています。手水舎かな。

さまざまな経緯をたどっている、複雑な山だったようです。

西峰山頂

さて、山頂へ向かいましょう。

社の後ろ側から山頂へ登ります。

最後の最後で、またやたらと恐ろしい場所です。

山頂までの道

崖を這いあがります。

山頂はまさに岩山です。

西峰山頂

西峰山頂692m

なんだか東峰より1m低いのに、こっちの方が山頂らしい山頂です・・・。

内浦湾

内浦湾
青葉山を形成したという噴火の、旧噴火口がこの内浦湾だそうです。青葉山はその外輪なのだとか。(参考:『大飯郡誌』)

左を見れば京丹後、右を見れば若狭湾。最高の展望です。

ここの山頂は狭いので、ある程度楽しんだら次の方へ譲りましょう。
決してこの山頂で弁当を食べないように!!
社前に十分なスペースがありますからそちらで食事をしましょう。

 

社横の岩の上に謎の人工物があります。

西峰の碑1
西峰の碑2

外側:昭和五年三月十六日朝日新聞後援
内側:三舞鶴山岳会創立記念標

なんだか、先ほどの所有地の話を思い出してしまいます。

舞鶴側も譲れなかったのでしょう。それが昭和にも続いて、こうして山頂付近に石碑を作っているという流れでしょうか。

こういったいろいろな事情が絡まった痕跡が今でもみられるというのは、私は嫌いじゃないです。

西峰からもう一つの松尾寺奥之院

今寺・松尾寺分岐

今寺・松尾分岐

西峰から下山を始めまして、しばらく下っていきますと、分岐が出てきました。

右が松尾左が今寺です。

さて、私は今寺へ下ろうと思っているのですが、現地でここに立っていると、松尾道の方の奥に建造物のようなものが見えるのです。

気になったので、そこまで行ってみました。

松尾寺の奥の院

松尾寺奥之院1

なんだこれは。

こんなの地図に載っていませんでした。郷土史にも載っていませんでした。

何とも重々しいというか、神々しい雰囲気です。

立派な石垣、自然石でできた灯籠、味のある階段、社。

松尾寺奥之院2

社の中には鏡があります。

いったい何なのか、いろいろ調べてみると「松尾寺の奥の院」であるという事がちらほら書かれていました。

たしか、松尾寺の奥の院は西峰の青葉神社だったはずですが・・・。

で、ここで思ったのです。先ほどの所有権の話。

ひょっとして、京都丹後の松尾寺奥之院としていた西青葉神社が若狭のものとなり、松尾寺の所有ではなくなってしまった。なので、改めて松尾寺奥之院を造営したのではないか。
つまり、ここは京都府松尾寺の先端で、西峰に一番近い場所に奥の院を建てたのではないかと。

ここは京都府加佐郡。なので、福井側で郷土史を漁ったところで、ここの記述が見つかるはずがないのです。と思うのです。わかりませんがね。

で、『加佐郡誌』を見てみたのですが、結局場所の特定はなりませんでした。しかしこんなことは書かれていました。

此処にある奥の院は養老年間に祀ったもので妙理大権現であると伝えている。
引用:『加佐郡誌』

これは・・・、若狭側と一緒です。

もうわかりませんね。

下山[今寺口へ]

今寺分岐

分岐の道しるべ

というわけで、先ほどの分岐まで戻ってきました。

ここから今寺口へ下っていきます。

植林杉林

杉林1

ここからはですね、本当に何もない杉林の道です。誰もいません。

特に見所もなく、ただひたすら下ります。何度も方向転換するギザギザの道。一気に下ります。

矢印

何もない道ですが、林道との分岐がいくつかあります。

矢印

こんな矢印が道に敷かれていました。

こうやってわかりにくい道を示してくれています。

杉林から林道、舗装道へ

そこからもさらに杉林。

そして、大きな林道に出ます。

今寺の林道

これは車も通っていそう。

たまに、とげのある植物があるので注意です。

今寺の舗装道

そして、舗装道と登山の地図、ここが今寺登山道の入口のようですね。

まだまだ山の上なので下界はさらに下ですが、とにかく舗装道に出たという事で一安心です。

本当の今寺登山道はどこ?

今寺の登山道はどこ?

地図を見ると、どうも今寺口へと通ずる直線の道があるようです。

ここはまだ林道の終点なのですね。

という事で一回戻って、その道を探してみたのですが、見つかりませんでした。

あきらめました。

しかし、この林道を下っている最中、今寺登山口がありました。しかも一組の登山者がそこから下りてきました。

その方々は、一回目来たときこの今寺登山道がわからなかったようで、今回の2回目の登山でどこなのか探して下りてきたのだそうです。

やっぱり上からだと相当分かりにくい場所にあるみたいですね。

今寺口(集落から見る)

今寺集落からの登山口

はい、今寺集落まで下りてこれました。

今寺登山口までの道沿いには熊野神社や陸軍省境界杭などがあります。

ここから青葉山ハーバルビレッジまでまた歩くのですが、まあそれはちゃんとした道なので大丈夫でしょう。
ちなみにその道中にも見所はあります。「巡礼古道コース」というのですが、それは今後個別に紹介することにします。↓

ということで、福井県側の青葉山周回でした。

魔所であり、修験の山であり、美しい青葉山

青葉山は標高が700m手前の低めの山ですが、その質はかなり難易度高めの山でした。

青葉山は若狭富士として美しい姿を見せますが、それと対照的に魔所として、修験の山としての畏れも持ちあわせている山でした。

この二つの顔を持つ青葉山は、これからも多くの人々を引き付けるのでしょう。

参考文献
『山々のルーツ』
『高浜町誌』
『福井県神社誌』
『御大典記念福井県神社誌』
『越前若狭の伝説』
『わかさ高浜史話』
『郷土誌青郷』
『加佐郡誌』

アクセス、駐車場、トイレなど

最寄り駅は、JR小浜線青郷駅から徒歩で31分

自動車では、大飯高浜ICから18分

駐車場は、登山口横青葉山ハーバルビレッジにあります。20台以上は行けると思います。たまに、青葉山ハーバルビレッジの方の一部が封鎖されています。

トイレは、登山口すぐそこの青葉山ハーバルビレッジ内にあります。

マップへ(マップは中山登山口です)


【当サイトはリンクフリーです】

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
登山部
スポンサーリンク
シェアする
  • コメントはメール返信ができませんので、該当ページ上での返信となります。
  • コメントは審査をしますので、反映・返信までに数日かかる場合があります。(1週間経っても反映・返信されない場合はサイト運営者に何かあったと思ってください)

コメント