福井県小浜市の山の谷に、宮川村という歴史ある村があります。
その村内の新保区青野に、一人の少女にまつわる悲しい伝説が残されています。
とても悲しい伝説。しかし、伝え残さなければならない伝説。
今回、その伝説と伝説を伝える地を訪ねました。
記事前半を伝説、後半を写真多めの現地の様子で紹介します。
どんな場所なのか
福井県小浜市宮川地区新保。
小浜市の東側に位置するこの地区は、山の谷に位置する地区です。
ここ宮川村は、源頼政の伝説や加茂神社、彌和神社など歴史や民俗文化が色濃く残っている地区です。
そんな歴史や伝説が数多く残る宮川地区。その伝説の一つが今回の哀しい伝説「帯取らず明神」です。
帯取らず明神(不帯取明神)伝説
この不思議な名前の明神様。
いったいどんな由緒があるのでしょうか。
それは一人の少女のとても悲しい伝説で、目を覆いたくなる話です。
しかしながら、現代でも起こりうる話であり、これは戒めの伝説でもあるものです。
町の観光案内もなければ、ネット情報もほぼなく、説明もなく、標石もなく、すでに忘れ去られそうになっているこの伝説を今回、現地の様子と現地の方に聞いた現状を交えて紹介します。
まずは、この伝説から見ていきましょう。
新保区青野の里に一石碑がある。不帯取明神(おびとらずみょうじん)と称している。昔、一少女が青野家に奉公していた。ある日主家の帯が紛失した。人は皆少女のしわざであると疑った。少女はその冤を訴えるに由なく、遂に主家を逃れ出ようとしたが川に阻まれて果たせなかったので、終いに自殺した。その後無実であったことが分かったので、碑を建ててその少女の霊を祀り、不帯取明神と名づけた。また自殺した場所にも不帯取の字名を付けた。この字は今は竹長の地籍に属している。 引用:『福井県の伝説』 『宮川村誌(大正8年)』『越前若狭の伝説』に同じ記載あり。 おそらく『宮川村誌(大正8年)』を元にして、『福井県の伝説』『越前若狭の伝説』掲載されたと思われる。 |
『宮川村誌』という、地元の郷土史に記載されている伝説です。
『宮川村誌』は大正8年の物なので、文章が読み辛かったので、比較的読みやすい『福井県の伝説』を引用させていただきました。
しかし記した通り、『宮川村誌』と3つは全く同じ内容を情景を書いているので、一番古い『宮川村誌』の記載を元にして他の2つに掲載したものと思われます。
さて、伝説に触れていきますが、何とも悲しい事件です。
冤罪と言うのは昔から絶えなかったのでしょう。
一人の奉公少女が、冤罪で自殺してしまう。こんな悲劇を伝える伝説であり、「帯取らず明神」の名前の由来だったのです。
観光化はできるような話ではありませんが、こういった伝説の資料以外には何も記載されていません。
「碑」や「地籍」があると伝説には書かれていますが、ネットで調べても、「帯取らず」の文字は見えますが、現在の様子、碑の場所、地籍の位置などの記載は全くなく、現地の案内板にも記載なし。
それでも、私はこれを伝えるべきだと、探すべきだと思いました。
では、その現地へ赴きましょう。
現地の様子を現地の人の話を交えて紹介
どこにあるのか
まったくもって、何もかもが手探りです。
現地の方に聞くしかないでしょう。
新保区は広いです。
まず、「新保区青野」という場所を探さなくてはいけません。
近くの大幡彦姫神社で掃除をしている方がいらっしゃったので伺うと、青野という土地は下画像の、新保集落の西にある小さな谷の事だと教えてくださいました。
後に郷土史『わかさ宮川の歴史』で地籍を確認すると、ここが小字青野並びに上青野で間違いありませんでした。
この青野には青雲山龍泉禅寺というお寺があり、庭園や若狭武田氏の墓があることでも有名なお寺です。
ここが寺の正面参道です。
並びに青野の里の谷です。
帯取らず明神の石碑
さて、どこに石碑があるのか。
現地の方々に伺いました。
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家の旦那様、作業中にもかかわらず、親切に教えてくださって本当にありがたかったです。
そして、龍泉禅寺の方には、お休みの所いきなり訪ねてしまって申し訳なかったです。(本当は観光寺院でないお寺には、事前に連絡するのが礼儀です。)
青野の家の方から見て門の右、正面から見て門の左、電柱の下に、明らかに立てられている石があります。
これが、少女の霊を祀る「帯取らず明神」です。
周りには説明もなく、標柱もなく。
草木に埋もれかかっています。
しかしその形は上が尖っていて、まさに「石碑」という感じです。
石碑と言えど、文字などは書かれていません。
長年の歳月が過ぎ風化してしまったのか、あまりの悲惨な事件の為文字を大々的に刻まず、里内だけで祀るようにしたのか。
石にかかる紋様を見れば、だいぶ長い時を過ごしてきたことがよくわかります。
後ろ姿。
前からでも確認できますが、石がだいぶ欠けています。
先ほどの旦那様の話によると
今ではもう手入れもしなくなってしまった。
とおっしゃっていました。
草木で隠れそうになり、石が欠けてしまった状態の「帯取らず明神」。
地籍「不帯取」
さて、もう一つ伝説に出てきた場所があります。
少女が命を絶ったという地籍「不帯取」です。しかし、現地では全く確認できず。
先ほどの神社の掃除をしている方に聞くと
どこか田んぼのあたりで聞いたことがあるけど、わからない。
とのことでした。
それで後に先ほどの『わかさ宮川の歴史』で確認したところ
上画像の辺りが、「36字不帯取」だという事が判明しました。
確かに田んぼの中の地籍です。
この辺りで伝説中の少女が亡くなったという事なのでしょうか。
帯取らず明神の石碑が立っているちょうど目の前の地籍なのですね。
忘れ去られてしまう、忘れてはいけない伝説
帯取らず明神。
冤罪で自ら命を絶った少女の悲しい伝説。
あくまで伝説ですが、やはりこれらにはメッセージが込められていると思うのです。
何の罪もない者が理不尽に周りから攻撃され、気が病み、自ら命を絶ってしまう。
これは現代でもまったく見受けられる事件です。
昔に起きた出来事。人は本当に学んでいるのでしょうか。
こういった伝説は、現代、後世への戒めの為に伝わっているものと思えてなりません。
だから、伝え続けねばならないと思うのです。
この伝説を知る方は、青野の里で4人の方にお話を伺いましたが、一人しか知りませんでした。
話の内容が悲劇過ぎて、外の者に伝えないようにしているという可能性もなくはないですが、そんなことは今どきなかなかないでしょう。
この小浜宮川の「帯取らず明神」の伝説はもう、本当に現地で途絶えてしまうかもしれません。早急に対応が必要です。
参考文献
『宮川村誌』
『福井県の伝説』
『越前若狭の伝説』
『わかさ宮川の歴史』
基本情報(アクセス、最寄り駅)
最寄り駅は、JR小浜線新平野駅から徒歩43分。
自動車では、小浜ICから車で9分。
駐車場はありませんが、付近の路上に駐車できるくらい広いスペースがあるので、邪魔にならないように停めましょう。
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