三十三間山から轆轤山~山開き日に倉見登山口から風神を参り登山【福井県若狭町】

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福井県若狭町からの倉見登山口から三十三間山へ登ります。駐車場は登山口にあります。

今回は山開き日に行き、多くの登山客と登りました。

標高、所要時間と合わせ難易度など記載してきます。また熊の生息域としても知られ、また残念なことですが、風力発電建設予定地としても有名になりました。その風力発電が立つ前に登ることができて良かったです。できれば立ってほしくないですが。

登山の様子と伝説を記録します。

情報

基本

標高:842.3m
地質:古生層の砂岩、粘板岩

別名は…

  • 倉見岳(闇見神社の神を山上に祀ったから)
  • 天神山(天満神社の裏の山だから)
  • 後山

スゲを用いた蓑作り、油桐の実を使った桐油、薪炭生産、石灰石からの石灰製造、山菜やキノコ。古くから、この山は、麓の集落に多くの恵みをもたらしたと言います。

『福井県の山』にも記述があります。

名前の由来の伝説

三十三間山の由来は、

  • 大昔、僧坊が三十三間あり、闇見神社の社務別当をしたから。
  • 三十三番の競馬が行われた山だから。
  • 神社の競馬のために近江の高島郡川上村酒波から、三十三番の馬を引き、この山を越えたから。
  • 京都の蓮華王院三十三間堂の棟木をこの山から切り出したから。

などという伝説が残っています。

『山々のルーツ』によると、『味真野名勝志』には、この棟木を引き出すとき、あまりの大木であり難渋し、占いによって越前国味真野文室谷の円海という人物が飼う牛にひかせることになったといい、首尾よく棟木を引いた褒美として、後鳥羽院より八町三反歩の田をもらったと伝える。
また詳細の運び方として、円海が引き出した木は、天増川に落とし、水坂峠を引き上げ、琵琶湖を渡し、京に運んだともいわれる。

ただ、浄瑠璃『三十三間堂棟木由来』では、熊野の大柳を使ったことになっているという点には留意が必要。

その他の伝説

三十三間山と取り換えた大般若経
 三方郡にそびえる三十三間山はむかし江州高島郡川上村の岩剣神社の所領であったのを倉見庄(十村)に譲られたので、その体として同村の宝としてあった大般若経九百巻を永代寄進したのは観応二年のことであった。
 なおそれより二十年後の応安二年に江州にて疫病流行して死人数知れず、このとき大般若経を頼み祈念したところ疫病は止んだと言われる。
引用:『若狭の伝説』

山開き日(4月29日)の神事と式典

三十三間山

山開きとあって、登山者が多くいました。写真ではまだ早い時間でしたが、ここからさらに多くの登山者が集まっていました。そして、小さなお子さんも参加していました。

地元の方からのふるまい、飴やたけのこご飯などが振舞われました。また、この山にできる風力発電建設反対の署名活動も行われていました。

8:20から登山者の受付が始まり、9:00から式典が始まりました。

三十三間山

神事前の様子です。このあとすぐに神事が始まりました。登山祈願などだと思います。町長や観光関係、議員などが参加していました。

三十三間山

神事では、川や登山道などでお祓いをしていました。そのあとの、紙吹雪の跡です。

三十三間山

神事が終わって、式典が始まります。

テープカットの様子を撮りました。生でテープカットは初めて見ました。

三十三間山

というわけでここから登山が始まります。

今回私が行くのは、他登山者と同様に、倉見登山口に始まり、倉見登山口で終わる帰ってくるルートです。周回してスノーベースに降りてくる道もあるようですが、人がおそらくいないので、熊が怖いのと、道がややこしいらしいので遭難の恐れがあるため、そちらは断念しました。

倉見登山口から登山

登山口~林道

三十三間山

登山口はフェンスで仕切られていますが、今日はこのタイミングで開放されているようです。

一斉に歩き始めた登山者の前列で進みます。後ろを見ると、ものすごい団体なので、あの中に入ったら、写真なんて撮っている暇がないので、速足で進みます。

登山開始は、9:30

三十三間山

途中、山の神の看板があり、しばらく林道を歩いていると、石灯籠がありました。神社の灯篭でしょう。山の神への信仰物でしょうか。

三十三間山

結構身軽な登山者も多くて驚きですが、私はかなりの重装備です。白山にでも登るのかというレベルの格好をしています。

それはいいとして、林道は川と斜面沿いを進みます。

三十三間山

しばらく進むと、林道が終わります。

分岐には看板があり、登山道への道しるべとなっています。

風神の滝

三十三間山

まさかスマホで撮るとこんなにぼやけるとは思っていませんでした(リサイズ時にかなり小さくなってしまいました)。こちらが風神の滝です。急に現れます。

足元を見ながら登っているとスルーしそうになります。

9:45

最後の水場

三十三間山
三十三間山

9:55

最後の水場という、なんとも少し恐怖を感じる滝があります。

この川は、細い金属の板を歩くので慎重に。

道中

三十三間山

ヘアピンでどんどん登っていき、途中から稜線っぽくなります。

そこからもさらに登っていきます。

三十三間山

こういう一言が、今登山道にいるのだと安心させてくれるのです。

夫婦松

三十三間山

10:18

どうも老松っぽいのですが、確かに根本付近から二股に分かれていた様子です。しかし、その一方は既に折れてしまっているのか。今は、一本だけが残っています。

なんだか悲しいですね…。

道中2

三十三間山
三十三間山
三十三間山

ガスが出てきました。雨が降りそうな天気ではありましたが、雨予報ではないので、大丈夫かと思いましたが、展望は望めそうにないかなと。でもこれはこれで幻想的です。

風神

三十三間山

しばらくいくと、風神に到着します。

ちなみにこの場所には風神はいなくて、少し登山道から逸れます。といっても、ほんの10m程度ですので、是非とも寄ってみてほしいです。

三十三間山
三十三間山

10:40

見た目、卵塔のようですが、しっかりと神を祀っている石造物になります。『新わかさ探訪』によると、これは「風神(かざかみ)」というそうです。

「為 国家安全悪風退散 衆病悉除如意吉祥 祈」と刻まれていると言い、「○保三壬辰…建立」とあるようで、天保三年(1832)に建てられたものとされるそうです。

三十三間山
三十三間山

実際、石塔の両サイドに、そのような記述がみられます。

『三方町史』を参照にする部分があるので、元の三方町史を見てみると、

 この地域は昔から三十三間山の豊かな資源に恵まれているが、たつみの風(南東風)が強く、住民は悩まされてきた。このため、文政年間(1818~29)に、永正院第十世恵隆が金毘羅堂を建てて風神大明神を勧請し、奥の院を三十三間山頂に建てて祀った。この奥の院は、石垣に囲まれた台石の上に建てられた石塔であり、石塔の祈願文には「悪風退散」の四文字が刻まれている。それ以来、集落には多少の災害があったが、大難がないといわれている。毎年八月十八日を祭日として、各戸一人ずつ奥の院へ参拝している。
引用:『三方町史』

『新わかさ探訪』では、この祭礼の時に、大般若経を読むのだとされており、ここで、先ほどの江州との伝説にあった大般若経とつながってくるのが面白いところです。

三十三間山

登山者にはスルーされてしまうことも多いようですが、ここに、倉見の信仰が根付いていることがはっきりとわかります。

山への信仰、自然への信仰。自然そのものと同じく、これは後世に受け継いでいってほしいものです。

そう考えると、風力発電建設というのは、地元の方々にとっては、受け入れられないものになり、登山口で署名活動を行うことになるというのも、納得がいく気がします。

               

稜線分岐

三十三間山

風神を過ぎるとすぐに、稜線に出て、三十三間山と轆轤山の分岐に出ます。

とりあえず、最初に三十三間山へ向かおうと思うので、左の方へ進みます。

三十三間山

まず行きはこんな感じでした。まるで天上界にいるような気分です。

記事がない道を、適当なルートで歩いていき、そのうち気が生えてきたあたりからまた指定のルートで登っていきます。もう少し上ります。

三十三間山山頂

三十三間山

というわけで、登頂しました。842.3m。

11:00

登頂は、ちょうど1時間半でできました。かなり手ごろな登山と言えます。難易度はそれほど高くない印象です。危険な足場があるわけでもないですし、お子さんでも登られていましたし、そして眺めも雰囲気もいい。稜線歩きも安全ですし、これは中々おすすめの山です。

初心者の第一号登山としてもかなり良い山なんじゃないかと思います。

ただ難点と言えば、平常時はそこまで知名度が高いわけではないので、人が少ないことと、熊の出没が周辺の山際で近年毎年報告されていること。

こういった、山開きなどでまずは来てみると良いと思います。

三十三間山
三十三間山
三十三間山

山頂からの眺めはありません。

三十三間山~轆轤山

三十三間山

相変わらずガスは晴れません。しかし、ガスから見えてくる人影というのもなかなか面白いものがあります。

三十三間山

そんなことを思っていたら、どんどん晴れてきました。下までの景色はまだ見えませんが、山の尾根の全貌が暴かれ始めました。ガスで今まで包み隠されていた景色が暴かれてゆく様は、また一段と特別な様子です。

三十三間山

すると山の下までも見えるようになって行き、周りにいた人々からも歓声が上がります。

今見えているのは三方町かとおもいます。上中はもう一つ向こうだと思います。

三十三間山
三十三間山

まだまだ空は雲がかかっていますが、強烈な日光もなく、それでいて町が見えるというのは、とても居心地の良い状態です。

この調子で、三十三間山から轆轤山へ向かいます。

三十三間山

先ほどの、稜線の三十三間山と轆轤山の分岐地点を轆轤山側へ進むと、一気に人っ気がなくなります。皆さん轆轤山へは行かないようです。

そして登山道も少し獣道感があり、三十三間山よりだいぶ人が来ていない感があります。

そしてとても獣くさかったです。

三十三間山

分岐から轆轤山までは、想像以上に距離がありました。上写真で見えている奥のピークよりもさらに奥です。

最初、獣くさいし、人っ気ないし、あきらめようかとも思いましたが、せっかく来たならと、行く決断をして進みました。

三十三間山

明らかに獣がいた跡がそこら中にあります。

ここは獣たちの居場所なのでしょう。そう考えると、またあの風力発電のことを思い出します。

風力発電が出来たら、獣たちの居場所はどうなるのか、と。

三十三間山

低い木々が所々群生しており、ほとんどは芝か土の地面。そういえば風が強いということで、神を祀ったというので、それの影響で木々も育たないのかとも思います。

三十三間山

でもこうしてみると、育たないわけでもないようで、部分的にはげ山になっているというだけなのかなとも思います。

三十三間山

ふと目をやると、上中から小浜方面への谷が見えました。

ここから小浜線撮れるかとも思いましたが、他登山者が全員降りる前に自分も一緒に下山したかったので、今回の小浜線撮影は諦めました。

三十三間山
三十三間山

何も植物が育っていない部分もあります。これは地質の問題なのでしょうか。

三十三間山

振り返ると、三十三間山があんなに遠くに。ガスがかかっているところが三十三間山の山頂です。山頂は今も幻想風景なのでしょう。こちら側はだいぶ見晴らしの良い天気です。

三十三間山

何度か登ったり下ったり。でもここまで草木がないと、確定した登山道も良くわからず、適当にこのあたりだろうなという感覚で、轆轤山を目指します。

三十三間山

いきなり苔が生えています。さらに石灰岩のような岩も点々と。

雰囲気が変わりました。しかしそれも一瞬だけ。この部分だけ地質が違うのでしょうか。

三十三間山
三十三間山

轆轤山山頂

三十三間山

というわけで轆轤山、662.3m登頂です。

11:55

三十三間山から一時間近くかかりました。

轆轤山からは主に上中が見える感じがします。そして三十三間山とは違い、高い木々がないので、見晴らしがよいです。

はげ山とも言われたりしますが、まあ確かにそんな感じかもとも思います。でもそういう山があってもいいと私は思います。

三十三間山

小浜方面をよく見ると、小浜の湾が見えました。海です。天気が良かったら、その先の海、若狭湾も見ることができるのかもしれません。

登山終了

というわけで、三十三間山と轆轤山の登山でした。

下山時間の確認を失念していました。14:00前には下山していたはずです。

ちなみにこの山開き日に倉見登山口へ下山すると、地元の方がまた待っててくださり、みそ汁(しょうがの豚汁だったかな?)を振舞いしてくださっていました。おいしかったですね。こういう登山もなかなか良いものです。

参考文献
『山々のルーツ』著者上杉喜寿 出版1987.6
『若狭の伝説』出版1954
『新わかさ探訪』著者若狭のふれあい編集室、飛田敏博、田辺浩一 出版2005.12
『三方町史』著者三方町史編集委員会 出版1990.3

登山口駐車場アクセス

最寄り駅JR小浜線十村駅から45分
自動車若狭上中ICから10分
駐車場複数台あり(山開き日は臨時駐車場もあり)

最後に三十三間山風力発電建設の所感

風力圧電の詳しい事情は、正直な所、メディア、特に福井新聞で報道されている部分でしか知らないので、何とも言えません。

気になって公式でいろいろと調べて見はしました。

元々は確か、建設工事開始予定は、2026年4月だったはずです。しかし、価格高騰や住民の反対などで延期しているものと思われます。

  • 運営会社:株式会社ジャパンウィンドエンジニアリング。
  • 単機出力6,100kWの風車を最大17基設置。(当初予定)
  • 景観配慮で当初の発電機予定の高さ180メートルから169メートルに修正案が出ている。
  • 三十三間山風力から江若風力に仮名変更。
  • 対象事業実施区域面積:約626.95 ha。
  • 距離:大日岳付近から轆轤山南まで。

などと簡単な情報は私は認知しています。

ただこの大日岳から轆轤山というのは、一部天然のブナ林があったはず。

また反対意見は、若狭町からも滋賀県側からも出ているとのこと。若狭町長も町議会も反対しており、実際山開きの際にも、若狭町長は「風力発電建設で有名になってしまって残念なことです」と言っていました。滋賀県知事は計画取りやめを含めた修正を求めているとのことでもあります。

ここは福井県知事にも動いてほしいところではありますが、果たして「たかと知事」は気にしてくれるのでしょうか。

若狭の地というのは、信仰に厚い地域です。そして特にそれは自然信仰が強いです。タブノキへの信仰。そして山への信仰。それも越前のように誰か有名な僧が道を切り開いたとかではなく、民間信仰から来る、山を想う信仰です。それが風神様にもつながってきているのでしょう。
また若狭は近年まで土葬が行われてきた地域でもあります。それは信仰からというわけではなく、そういう文化でした。今では火葬ですが、未だに土葬跡がいたるところに残っています。それは地に帰る、そしてカミになる。ということでもあります。「土地」とは、それほど若狭の心に根付いています。

動物たちの居場所でもあるこの山並み。おそらく、風力発電ができれば、動物たちは人間よりもその振動や音には敏感でしょう。山から追われます。そうすると人里へ降りてくることも多くなるでしょう。ただでさえ熊や鹿、イノシシ、猿の出没が多い現代。それは一つ、山を人間が我が物顔で荒らしているからという原因も考えられるのではないでしょうか。
よくメディアでは、「人里に獣が」「人間の生活圏へ」「人間との境界がなくなっている」という表現が使われますが、果たして「獣の生活圏」や「獣との境界線」を壊しているのは誰なのでしょうか。「獣の住処」に入り込んで荒らしているのは誰なのでしょうか。

今一度、この部分を考えてみる必要があると思います。


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