写真は山に囲まれる町、福井県勝山です。
今回、この勝山市と同じ奥越の大野市に関する苗字について、とても気になったことがあったので記事を書かせていただきます。
おそらくほとんどの方が自分の名字や親族の名字、地域の名字に興味があると思います。
今回私が気になったのは、「多田」という名字と地域との関係です。この名前と地域の二つを合わせて見たときに「なぜ?」と思ったので、少し地域の言い伝えと共にルーツも調べてみました。
私が気になった原因
お面さん祭りの「多田」さん
まず私がこの「多田」さんについて気になった原因その1は、先日「【勝山市】滝波のお面さん祭り」の記事で由緒を見ていた時、「多田太次右衛門」という人が登場しました。
下の記事の「お面様の伝説」の欄にその多田太次右衛門さんが登場します。
勝山では有名な滝波のお面さん祭りですが、このお面様を拾ったのが、「多田」さんだったのです。
まずこの多田さんが何者なのかも気になります。
私の知っている「多田」さんがいる
原因その2は、実際に私が知っている人で、多田さんが勝山大野にいます。
お面さん祭りの伝説を知った後、その方に聞いてみたのですが、お面さんの多田さんに関係がある感じではありませんでした。
しかし、その話の中であることを教えてくださりました。
それが次の原因です。
奥越は「多田」さんが多い
原因その3、その方の周りにも「多田」という名字のつく方がたくさんいるというのです。
「あそこらへん多田多いよ」と教えていただいたのです。
奥越というのは福井県勝山市・大野市のことです。
地域によって名字に偏りがあるのは、わからなくはないのですが、伝説が絡んでくるとどうも気になってしまいます。
伝説にも度々出てくる「多田」さん
また、このお面様の伝説だけでなく、他にもたびたび福井の伝説を調べていると、大野市や勝山市で「多田」という名字の登場人物がよく出て来るんですね。
大野では天狗の話に出てきていました。
このように伝説でも多く登場するということは、昔から多くの多田さんがこの地にいたということです。
福井県多田さん地域ランキング
気になったので福井県内の多田さんの名字の人口を市町村ごとに調べたところ(参考になるのかわからないけど・・・)
坂井市、大野市が200人~。
福井市、永平寺町、勝山市が300人~。
とずば抜けていたんですね。
ちなみに越前市や若狭の方だと10~40人でした。
ここまで大差があるとやはり謎です。しかも、まだ福井市や坂井市が多いのは人口も多いから、名字の人数も多くなるのは自然です。
国土地理の2020年の統計によると、
福井市 261,986人
坂井市 91,069人
永平寺町 18,369人
大野市 32,630人
勝山市 22,777人
です。
こう見ると福井市、坂井市の苗字人口が多いのは自然なことです。
逆に永平寺町、大野市、勝山市の人口で、これだけ「多田」という名字が多いのは異常、というか絶対何かあるはずなのです。
お面様を拾った「多田太次右衛門」とは何者なのか
ここで歴史を見るにあたって希望になるのはやはり、「【勝山市】滝波のお面さん祭り」の多田太次右衛門さんについて調べることでしょう。
ただ、この「多田太次右衛門」さんもそんな武将とかではないので、どうやって調べればよいかわかりません。
しかし、1912年発行の『大野郡誌 下編』を細かく読んでいると、多田氏についての小さな一文を発見しました。
多田氏は満仲(源満仲)の二子来住せしを家祖とし御面様の外小瀧丸の銘刀太閤拝領の朱盃陣羽織を襲蔵す 引用:『大野郡誌』 |
滝波の面を拾った「多田太次右衛門」さんの先祖は、元をたどればこの「源満仲」にあたると書かれているのです。
勝山大野にこんなに多く「多田さん」がいらっしゃるのは、この源満仲の子孫がここに移り住んだことが由来なのかもしれない、ということですか。
その地に移り住んだ有力者が名字を広げることってよくある話ではありますが、なかなかロマンのある話です。
源満仲について
源満仲とは
ちなみにこの「源満仲」についても名前について少し見て行きましょう。結構有名な方で平安時代の武将です。
この満仲は「多田 満仲」とも名乗っていますし、満仲は神号もあり「多田大権現」で、「多田源氏」の祖でもあります。
「多田」を始めに名乗ったのはこの満仲だとされていますので、実質「多田さん」の祖でしょう。
発祥は、平安時代の摂津国川辺郡。
「源満仲」は有名なので調べたらいろいろ出て来ると思います。越前にも関わりの深い方です。
越前の受領(行政の役職)をやっていたこともあるといい、福井県内でもこの満仲についての史跡や神社がいくつかあるのです。なので、この奥越の地に来ても何も不思議はないですね。
満仲の子孫「源頼光」
また、満仲自身も大きな存在ではありますが、満仲つながりでより有名人といえば、この源満仲の子の一人に「源頼光」がいます。
ご存じな方も多いと思います。
「源頼光」といえば、坂上田村麻呂・藤原利仁(敦賀に縁の深い)・藤原保昌とあわせて伝説の武将の一人で、なにより有名なのが『酒呑童子討伐』や『土蜘蛛退治』でしょう。
いやー、すごい方と遠い親戚なのかもしれませんね。
「多田」の由来は地名という説
地名の由来
しかしですね、この「満仲が先祖とは限らない」というのが現実。
実際、「多田」という地名も多いです。その地名から来ている説というのもあります。
地名の由来は…
- 平らで、平穏な、穏やかな土地
- 爛(ただ)れるの語源で、洪水や土砂崩れなどで崩壊した土地
等、土地によって由来はさまざま説があります。なので、プロじゃないとわからないのです。
まあ、たしかに永平寺勝山大野は、山に囲まれていますし、おまけに「九頭竜川」という、古来より「暴れ川」と呼ばれた川が貫いています。
これは、地名説が濃厚か・・・?
このように「多田満仲(源満仲)」が祖先とは限らないのですね。
調査結果
「多田氏」は、なぜ福井県奥越(大野郡)に多いのか。
明確な答えはわかりませんが、以下の説が有力となりました。
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名字が有名な歴史的人物と同じような場合、その人物に結び付けようとすることはよくあることでしょう。今回の大野郡がそうなのかはわかりませんが・・・。
しかし、『大野郡誌』にはお面さんの「多田氏」は満仲の二子の子孫ということになっています。郷土史がそう言っているなら、今はその認識でいた方が良いのかもしれません。
今後これについて、明確な答えがわかるか、それともこのまま言い伝えのままにしておいた方がいいか。
考えは人それぞれなので、今回は以上二つの説を上げて終わりにします。
名前という大切な伝え物
地名説などもありましたが、もし、多田さんの由来が満仲でなく地名の苗字であっても、それというのは、その土地の昔の姿を今に伝える大切な名前なのです。
今では面影すらなくなってしまったような土地を、その地域の方たちの名前から読み解くことができる、いわば、名前で土地の歴史を語っている、そんな大切な名前なのです。
参考文献:『大野郡誌』
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