福井県おおい町若狭大島半島の宮留集落の平地に茂みがあります。そこにはかつて八幡宮があったとされ、今でも石碑や鳥居などが残っているといいます。
八幡神は大島にとって大切な神社であったのです。
地理
宮留地区は大島の一番東先端にある部落です。
赤礁崎と大島の山の間の平地(砂洲)にある茂み。
上写真では、左に若狭湾と内外海の半島、右に青戸の入江が見えますが、正面の田園が宮留の砂洲。その中の茂みです。
ここが八幡神社のあった場所です。
特に山になっているわけではなく、古くからの茂みが今に伝わっている状態で、この茂みを貫くように南北に道がつながっています。
八幡宮があったのはこの茂みの東側。ちなみに西の茂みにはニソの杜があるようです。
由緒
現在この八幡宮は現地になく、島山神社に合祀されています。
合祀されたと言えど、郷土史を見る限りだと、かなり由緒のある神社だったようです。
その創建は古く賢海文書(1439)には用明天皇御宇とし、また延喜十九年(919)十一月渤海の使者が若狭の丹生浦に着いた時、当時の国司藤原尹衡(ただつぐ)が大島に八幡宮を勧請したともいっている。しかし、前者はより所が薄弱であり、後者は『扶桑略記』の読み誤りのようである。
だが文和五年(1355)細川清氏等の文書によって相当の神社であったことがわかる。
引用:『大飯町誌』
などと書いてあり、その文書などは
- 若狭守護細川清氏が武運長久のため、今富の田を寄進した文書。
- 康安元年にも武運長久の祈祷を勤め、それを褒める書状。
- 清氏臣下右衛門慰義幸からの毎年三貫文という銀貨が三、四年送られたことを示す寄進状。
などがあるとされ、かなり重要視された武運の神だったのです。
今でもその鎮座地が守られているというのがその偉大なる神社であった証拠でしょうか。
『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』によると、明治十二年の明細帳には大島の神社は宮留の八幡宮と六社神社(現在の島山神社)があるとされていたようです。
八幡宮に境内社は無し。
明治四十四年に六社神社に合祀され、その時に八幡宮跡地に石碑が建てられ、現在も石碑と狛犬の石像がある。(『大飯町誌』『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』に写真有)
寄進状には小浜港の入船馬足料から寄進されていたことが書かれている。
参考:『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』
明治四十四年は、当サイトでも今までの他神社でも見てきた通り、大量合祀が行われた年です。この八幡神社もまたその一つだったということですね。実際に島山神社の由緒書きには宮留八幡の名前を見ることができます。
しかしやはり明治時代に合祀された後もこうして鎮座地が維持されているのは素晴らしいというか、偉大だったのでしょう。ここまでするなら又戻してもいいようにも思ってしまいますが、それはそれで管理が大変なのかもですね。
地元の方にも少し教えていただきました。ニソの杜やサンマイについて教えてくださった方です。
その方によると、
「底の茂みには八幡神社がある。八幡神社は今もある。茂みへ続く道が続いているからそこから入れる。」
との情報です。
一応合祀はされていますが、報告書にある通り、石碑や狛犬もあるので、実際にはまだ祀っているという感覚なのかもしれません。
茂みへの道は一般人でも入れますが、まさかの獣の足跡が多くあったので警戒は必要です。また、どうも道沿いには柵があり、道から茂みへは入れそうにありませんでした。ところどころ獣道のような茂みの穴はありますがそれが入口なのかは不明。
東側から見た宮留八幡の杜。
結局、獣のこともありますし、入口もいまいちわからなかったので入ることはあきらめました。
道から見ただけだと石碑などは見えず、結構奥にあるのかもしれません。
宮留八幡宮という存在
さて、この宮留の八幡宮ですが、先ほども見た通りかなり大きな神社だったようです。それがわかる言葉が他にも見つかっています。
大谷信雄の「島山神社社記」には、「八幡宮は島の氏神にて明神は夫より上の大神なり、御鎮座も八幡宮より古し、また八幡宮は氏神なればとて長百姓の家に係りはあるなり」とも書かれている。
参考:『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』
つまり、八幡宮はこの大島の氏神であるというのです。
大島の神社と言えば、上の通り「島山神社」がまず一番の神であるということのようで、その他に大島で有名なニソの杜。ニソの杜は大島開拓二十四名の祖霊神を祀っているという祠。その惣社が余永神社という神社であるとしています。
いうなれば、
島山神社は、大島の産土神。
余永神社は、大島の開拓二十四祖霊神。
八幡神社は、大島の氏神様。
という様な立ち位置のようです。
そしてその3つが、今は全て島山神社の境内に集まっているとのことで、つまり大島の島山神社は、この大島にとって、すべての神が集まる聖地であるということになります。
いずれにしても、それほど宮留の八幡宮は大きな存在だったということですね。
若狭国守護にも崇められたとあれば、この特別な土地にある八幡神は、大島だけでなく若狭の武神だったともいえます。
参考文献
『大飯町誌』
『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』
基本情報
最寄り駅 | JR小浜線若狭本郷駅からバスに乗り換え宮留バス停で下車徒歩5分 |
自動車 | 大飯高浜ICから20分 |
駐車場 | バス停近くの駐車場 |
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