六月祓神社|禊祓いの地の由来と今を訪ねる【小浜市】

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福井県小浜市津島に六月祓神社(読み方は「みなつきはらえじんじゃ」)別名「水無月神社」という神社が鎮座しています。

名前に「六月」「祓」というもの字ある通り、この神社とこの地は古来より禊祓いと深く関わる土地でした。

今回はそんな「祓」の地、六月祓神社とその歴史を紹介します。

六月祓神社とは

六月祓神社1

小浜市の港町の街並みが残る一角に、この神社があります。津島と多賀あたりの街並みは、人魚浜周辺の街並みと比べて細い道や曲道が多いので、慣れない方は少し迷うかもしれません。


祭神表筒男之命、中筒男之命、底筒男之命
住吉三神と呼ばれ、イザナミが黄泉の国の穢れを「禊」によって清める際に生まれたとされる神様たちです。

祭神もまた、禊や清めに深く関わっている神様なのです。神社の名前を見ても祭神を見ても、この神社が禊や祓いと深いかかわりのある神社だということが予想できますね。

また、県内のニュースでは夏越祓(なごしはらえ)の時期になると「かわそさん」という名前で、この神社の茅の輪(ちのわ)をくぐる祭事である「夏越祓の祭り」が紹介されることでも知られています。

では、この地がどのようにして禊の地となったのか。その由来と神社に伝わる伝説を見て行きましょう。

禊祓い(みそぎはらい)の地

この地が禊祓いの地とされるようになった最初の要因は、巫女の霊夢にあったとされています。

その伝説は以下のような内容です。

松永谷上野(現在の小浜市上野)に、「かな」という巫女がいました。かなは、慶長9年(1604)6月29日に「小浜の州崎に水無月の神が出現する」という霊夢を見たので行ってみると、長さ2メートル程の幣があり、月の絵がかかっていました。これによって、この地に小さな社(祠)を建てて、水無月の祭りが始まりました。月の絵は今でもあるといいます。

参考:『越前若狭の伝説』

現地の神社にも説明板があり、由緒が書かれています。しかし、その説明板には「月の絵」という内容は全く書かれていなかったため、これが本当かどうかは少し怪しい所です。

とにかく、一つの伝説ではこのような内容で社が建てられたこととこの地が禊祓いの地として祭事が始まったとされます。

巫女と禊と神社の組み合わせは、同じ福井県内の若狭高浜青郷地区の青海神社もその一つです。

禊という子はかなり重要な役割を持った地域なのかもしれません。

六月祓神社3

神社の本殿と神楽殿?周辺は囲いがされていて中には入れません。この横に説明板があります。

神社はかなり、歳月を重ねているように見えます。囲いで厳重に立ち入りを防いでいますが、それにしては中が丸見えで、周辺も回ってみることができるので、かなり隅々まで全容を見ることができます。

装飾や建物のつくりは非常に細かく、全体的に少し小さめの物が多いため、なおさら細かく作りこんでいるように見えます。


禊祓いの祭事が行われるようになったのは、巫女の霊夢以降の慶長年間です。このときまだ、この地には祠しかなく「六月祓神社」があったわけではありません

つまりここは、「禊祓いの祭事の場所」という土地だったのです。

 

では、ここからはこの地が禊祓いの祭事の地になってから、「六月祓神社」として鎮座するようになるまでの歴史を見て行きましょう。

 

禊祓いの地「六月祓神社」の歴史

現在、立派な境内に銅製と思われる灯籠やかなり精巧に作られた社殿があり、この地に存在感を放ちながら鎮座しています。

六月祓神社2

そんな六月祓神社ですが、先ほども記したように「六月祓神社」の前身は、元はこの地ではなく小浜の上野という土地にありました。

大正11年の『若狭遠敷郡誌』によると、この地の老人の話で

明治以前にはこの地に神社はなく毎年6月28日に遠敷上下宮(若狭彦神社と若狭姫神社)から神輿が来て祭事が行われて、参拝者が多かった。

という内容が書かれています。遠敷郡にとって、若狭彦神社・若狭姫神社はとても大きな存在で、若狭国一宮でもあります。

そんな大きな神社の神様が、6月の祓いの時期に神輿でこの地にやってきて禊祓いの神事を行ってきたのです。それほど重要な場所ということですね。

 

その後、この六月祓神社の前身は一度「龍前」という土地に移動したとされ、その後の明治2年この土地に移動してきて、正式に神社の本拠地になりました。

明治2年の神社調帳には「水無月祠」という名前で書かれているとされており、その後の明治13年に社殿が増築され、さらに「六月祓神社」という名前が付けられて、ついに今の姿になったというわけです。

 

禊祓いの地と六月祓神社の歴史が巡って、一つとなった「六月祓神社」。なんだかこの地と神社の巡り巡った歴史を見ると、とても偉大に見えてきます。

 

境内社と境内

この神社の社殿の後ろには、更に境内が続いています。

六月祓神社5

手前に見える社は境内社です。この境内社は、現地の説明板によると稲荷明神、金山彦命、山神で、『若狭遠敷郡誌』によると金刀比羅神社となっています。

さらに合祀の神社の中には内外海村から移されたものもあるようで、この周辺の土地でも大きな存在である神社だということがうかがえます。境内社と併せて、六月祓神社は産神としても崇められています。

また、六月祓神社の社殿の真後ろには、玉垣によって囲われた謎の石がありました。現地の説明板にも資料にもまったくこれについての記述がなく、ご神体なのかわからず写真は撮らないでおきました。とても気になります・・・。

今もひっそりを鎮座する清き場所

禊祓いの地として古来から信仰され、重要視されてきた土地、津島・多賀の「六月祓神社」

そんな神聖な土地と神社は今も、小浜町の港町の家々のなかにひっそり鎮座しています。

禊や祓いという行為もそうですが、「清める」ということは、今のこの世の中でも通ずるものがあるのではないでしょうか。

近辺には、海の駅「若狭おばま」人魚伝説などの見所が多くあります。また最近では小浜西組重要伝統的建造物群も小浜の観光の見所になりました。しかし、この神社に参拝する方はあまり見かけません。存在を知らなかった方もいらっしゃるかもしれません。

今回この記事で、六月祓神社がいかに魅力的な場所かということが伝わって、一度参詣してみようかと思っていただけたらうれしいです。

参考資料:『若狭遠敷郡誌』『越前若狭の伝説』『神社由緒』

基本情報

アクセスは、国道162号線小浜NTT前で西へ。海の駅「若狭おばま」周辺の駐車場に止めて、徒歩五分

最寄り駅は、JR小浜線小浜駅からバスに乗り換えて、水産食品センター前で下車。同じく徒歩五分

駐車場はないので、海の駅「若狭おばま」周辺の駐車場か、小浜の町を巡るなら人魚浜東駐車場にとめるのも良いと思います。

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