ある年、村は日照り続きで田んぼが干上がりました。そんなある夜、お雪という娘が何かに取り憑かれたかのように家を出て、村にある池に飲み込まれました。
福井県勝山市鹿谷町西遅羽口。この地区に、氏神である白山神社が鎮座しています。
その境内の一角に、石などが置かれたスペースがあります。その場所が今回の目的である「お雪さん伝説」の地だといいます。
今回は、怪異とも人身御供とも取れるお雪さん伝説を見て行きます。
西遅羽口の白山神社
西遅羽口の白山神社は区の北にある山にあります。山の南側に鳥居があるので、集落側からは見つけやすいです。
祭神:天忍穗耳尊
創建年代不詳。ご神体は泰澄作とされる。
「白山神社」ということですが、祭神は白山の3柱ククリヒメ、イザナギ、イザナミの誰でもなく、天忍穗耳尊なのですね。珍しいのではないでしょうか。
社殿があるのは、少し階段を登った先です。
木造の建物です。
ただ、入口が木の板でふさがれていました。盗難防止の為でしょうか。祭事の時はどうしてるんだろう。
社標は昭和9年に掲げられたものらしく、文字は右読みです。
白山神社の文字の下には雉らしき鳥が彫られています。なかなか個性的な社標です。
お雪さん伝説
では、ここから本題の「お雪さん伝説」を見て行きます。
お雪さんの話
お雪さん伝説の地が伝わっているのは、この白山神社境内です。
まず、どういった話なのか見て行きます。
昔、お雪さんという17歳の娘がいた。その年日照りが続き、田んぼが干上がった。ある夜、お雪さんはもののけに憑かれたように家を出て、村はずれの池まで歩いて行った。すると、池の底から地鳴りがして、お雪さんは池の中に引き込まれ、星空の中大雨が降り出した。こうして村の田がよみがえった。それから一年経ち、その日の夜、ある家の娘がふと家を出て池へ歩いていき、娘は池にのまれて、星空から土砂降りの雨が降った。また一年経ち、村人は娘を箱に入れて守った。娘たちは無事だったが、今度はその夜から降り出した雨が何日経っても止まず、田畑が流れた。村人は相談し、娘を箱に入れて池まで運んだ。池は娘を飲み込み漸く雨が止んだ。 ※お雪さんが池に飲まれた日について 参考:『勝山市史』『越前若狭の伝説』 |
まさかの憑き物と人身御供の組み合わせです。
普通、人身御供というのは人間側から雨乞いとして生贄をささげるという形ですが、今回の伝説では自分の意志と関係なく、まるで操られて生贄になっているという形です。
怖すぎです。
お雪さんを飲み込んだ、現地の池跡
伝説にもあるように、現在もその池の跡とされるものが神社にあります。
鳥居正面むかって右に1スペースがあります。そこには訪問当時、説明板も立っていましたので、ここだということがはっきりわかりました。
最初は、この広いスペースが池跡なのかとも思いましたが、伝説には「小さい穴」と書かれているので、こんなに大きなものではなさそうです。
そのスペース内に、小さな穴だったらしきものがあります。
上写真左の説明板の前にある場所です。
石で囲まれており、ほんの少しだけくぼんでいるのです。どうやらここがお雪さんをのみ込んだといわれる池の跡らしいです。
この不自然なスペースといい、なにかあったのは間違いないでしょう。
お人似さん(おしとげさん)の神事
先の伝説の中で捕捉しましたが、お雪さんが池に飲まれた日付にいくつか説があるようです。
- 『勝山市史』では10月5日。
- 『越前若狭の伝説』に掲載の河原哲郎氏では10月9日。
- 境内説明板では10月8日。
話の内容は同じなのに、日付がそれぞれの説明のものによって違います。
参考になるのは、現在行われている神事です。お雪さんが池に飲まれたとされる日を祭りの人決めたことなので、これが現在いつ行われているかです。
では、『御大典記念福井県神社誌』を見て行きましょう。この資料によると。
特殊神事:おしとげさん(10月8日) 引用:『御大典記念福井県神社誌』 |
このように書かれています。
ということは、現地説明板が『勝山市史』を参考にしているにもかかわらず、日にちだけ10月8日に改めたということも含めると、
現地説明板の10月8日が現在の通説のようです。
多種多様な要因があわさった伝説
今回のお雪さん伝説には、4つのテーマがありました。
この部分を勝手に考えて行こうと思います。
「憑き物の怪異」と「人身御供伝説」
まず、村の伝承伝説について取り上げられるもので、
- 物の怪に取り憑かれるという怪異
- 干ばつを救うための人身御供伝説
の2つの組み合わせがなされています。
人身御供伝説は全国各地にあり、福井県内でも山ほど伝わっており、それを元にした神事祭礼も多く伝わっています。
憑き物に関してはあまり福井県内では見かけない印象ではあります。それに憑き物の言い伝えは、まだ私もあまり触れたことはないのですが、どちらかというと「人を不幸にする」系が多いような気もしますから、今回の操られるのとは通常違うのかなとも思います。
とにかく、この二つが融合して、お雪さん伝説ができています。
先ほども記しましたが、多くの人身御供伝説は「白羽の矢」のように村の為に、ひとり生贄になるものを決めて人間側から生贄として捧げる、又は長者の娘が嫁に入るという名目で泣く泣く生贄になるというのが通例です。
しかし今回は、生贄の人自身の意志や村の意志とは全く無関係に、取り憑かれたかのようにして生贄になってしまっています。
まるで、ハリガネムシに寄生されて水へ飛び込むカマキリのようです。
何とも恐ろしいものです。その正体がわからないのですから。いつ誰がまた取り憑かれて自分から生贄になるのかがわからないのです。この伝説を信じていた人は相当恐れたことでしょう。
「干ばつ(干害)」と「長雨」の災害
そして、今回の人身御供の大本の原因として、実際に過去に起こった気象異変による農作物への被害があります。
- 干ばつ(干害)の被害
- 長雨の被害
の2つの組み合わせです。
2種類の伝説と、2種類の作物災害があわさって、このお雪さん伝説が作られているのです。
干ばつによる災害で、村の娘が池や川、神社に人身御供として生贄される伝説はよく見かけるものですが、長雨の災害で生贄にされるものは、そう見かけない印象です。まあ、あるにはあるのですが、しかもこれが合わさっているというものもなかなか興味深いです。
農家からしたら、気象というのは自分たちでどうにかできる物ではない。しかし、作物にこれ以上なく大きな影響を与えるもので、いつ何時も心配だったでしょう。
干ばつさえ乗り越えれば「OK」というわけではなく、その先にも多くの苦難があったことをこの「お雪さん伝説」から読み取れるのではないでしょうか。
2つの伝説と2つの気象異変が組み合わさった
「憑き物の怪異」と「人身御供」の2つの伝承伝説と、「干ばつ(干害)」と「長雨」による2つの災害があわさり、4つの要因が組み合わさった伝説、それがこのお雪さん伝説なのです。
いまでも神事やお参りが続けられているとのことでしたが、それほど語り継がれている物なのです。
その証拠に、昭和に鹿谷小学校から発刊された『鹿谷むかしむかし』という本の中に、お雪さん伝説が3,4つほど書かれていたのです。
『鹿谷むかしむかし』とは、当時の小学校の生徒がそれぞれ地域の人や家族に地域の伝承伝説を聞いて来て、それを生徒が手書きで書き記し本にしたものです。つまりそれほど、この鹿谷地区で言い伝えられてきた伝説だということです。
語り継がれる農村の苦悩
神社の鳥居近くに、ここにだけ大きな桜が咲き誇っていました。
お雪さん伝説には、農村の苦悩が詰まっています。
お雪さんが何かに取り憑かれて池に飲み込まれたというのも、そのあと泣く泣く人身御供を立てたというのも、その自然災害気象異変による苦悩を形として、物語として表した一つの創造なのかもしれません。
干ばつと長雨の両方に苦しめられた人たちにとって、このお雪さん伝説はそのつらい過去を語り継ぐ手段として用いられてきたのでしょう。
苦しい時代を伝えるお雪さんと娘たち。近くの桜からその面影を見てとれるように思えます。
参考文献:『勝山市史』『越前若狭の伝説』『御大典記念福井県神社誌』『鹿谷むかしむかし』
基本情報(アクセス、最寄り駅バス停)
最寄り駅バス停は、えちぜん鉄道勝山駅からバスに乗り換え、鹿谷線の東遅羽口バス停で下車、徒歩6分。
自動車では、勝山ICから車で3分。
駐車場はありません。
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