福井県若狭町兼田。ここに「にっぽん縦断こころ旅 2014春の旅」で火野正平さんが訪れたという有名な土葬地(サンマイ)があります。
田園の中に島のように森が茂るその様子はまさにサンマイであり素晴らしい風景。今回はそのサンマイの杜についても触れていこうと思います。
兼田のサンマイ
兼田のサンマイ。
知っている人は知っている。
冒頭でも書きました通り、にっぽん縦断こころ旅に登場したことのある若狭町の土葬地です。
サンマイへの一本道があります。
野にある典型的な土葬地といった感じです。若狭の土葬地は土地柄上「山」に在ることが多くなかなか見ることはできませんが、ここのサンマイは「野」にあるのでこうもオープンです。
六地蔵があり。供物台と棺台があります。ここで最後の葬礼をするのでしょう。ソウレンバといえるでしょうか。
埋め墓の名称:サンマイ
詣り墓の名称:ハカワラ
見た感じ目立った石積みなどは見られず、どこが埋葬した場所なのかもわからないようになっています。草が茂っているのでそこに埋もれているだけかもしれませんが、上中の他の土葬地では自然石は置かず土盛と木の柵だけを作る場所もあるようで兼田もその形だったのかもしれません。
ちなみに取材中、カラスに鳴かれました。だから縁起が悪いと言われるのでしょうか。カラスの住家にもなっているようです。カラスは死を連想するものを言われますが、サンマイに住みつき、人が来たら鳴く。これがカラスが忌み嫌われる所以なのかもしれません。カラスもいい迷惑でしょうけど。
サンマイの杜について
さてここでサンマイのこの形について見ていきましょう。
先ほど「若狭の土葬地は山に在ることが多いから野でこの形を見られるのは珍しい」ということを言いましたが、野で見られるからこそ分かる、この「杜」についてです。
【著】金田 久璋『あどうがたり』では、この兼田のサンマイの写真が掲載されています。
杜とはただの森林などとも違うと記されています。
その形状は、有名な大島のニソの杜や美浜のダイジョコなどといった祖霊信仰の拠点となる場所となっていることが多いのです。
神社でもよく「杜」という言われ方をします。それは『あどうがたり』の言葉を借りるとすれば、
神社で言う「神が降臨される常緑樹の聖地」。
ニソの杜・ダイジョコで言う「祖霊信仰の聖地」。
サンマイ(埋め墓)で言う「山上他界、子孫を見守る場所」。
つまり信仰上もっとも重要な場所であるということになります。
またこうも考えられます。
神社の元が祠であり祖霊信仰である。
祖霊信仰とは先祖への信仰である。
先祖がいる場所が埋め墓である。
では、杜とは…。
そのすべてが集約している場所、それこそが「杜」なのです。
『あどうがたり』にはこうも書かれています。
タモや椎の古木は神の休み木として神聖視され、神であれ仏であれ鬱蒼とした森無くしては現世で憩うことはできない。
「モリ」という言葉は、山、墓をあらわす朝鮮古語「モイ」こ古形「モリ」であるとされている。ミモロとか、ヒモロギなどの祭場をあらわす古語も、朝鮮語から派生した言葉である。
引用:『あどうがたり』
また『あどうがたり』内に五来重の言葉がありその中に、
日本古来の墓地がヒモロギとして常盤木を一本建てて、その木が繁ることが死者の成仏だった
ということも記載されています。
敦賀のダイジゴも塔婆をたもの木で作り建てたことから茂って杜になったという伝承もあり、また、若狭でかつて行われていた三十三回忌のミドリトウバ(枝付き塔婆)の風習も、そこから杜を形成する名残ともされているといいます。
兼田の杜もまた、そんな昔からの枝一本から茂り始めた杜なのかもしれません。
参考文献
『あどうがたり』
『若狭の民俗』
『小浜、遠敷の両墓制について』
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