福井県敦賀市の金ヶ崎宮は花換まつりで有名な桜の名所。
昼には桜雲、夜には社殿と桜が共にライトアップ。さらに冬にも真っ白な雪が枝に積もり、桜を思わせる雪の桜が咲くのです。
今回はそんな金ヶ崎の桜をただ純粋に楽しんで紹介する記事にします。
※写真は2022年4月10日・2023年1月29日
金ヶ崎の桜と桜の歴史
金ヶ崎宮。別名、恋の宮。かつて、行幸の際大正天皇も訪れた場所。
「北陸の吉野」とも呼ばれる金ヶ崎宮の桜は、大正四年(1915)に大正天皇の御大典記念事業として植樹されたものです。ちなみに同じくして市街地の道路わきの桜も植樹されました。
私が訪問したのは2022年4月10日。
市街地の桜はそれなりに散り始めており、金ヶ崎の桜も散り始めでしたが、社殿付近の桜はまだまだ咲いていました。
この金ヶ崎でとくに有名なのは「花換祭り」でしょう。今回その場面には訪れていません。まだまだ感染症が心配された時期でしたので、当時は時間を避けました。
この花換祭りは毎年四月十日前後の一週間行われ、かつて桜のつぼみがほころび始めるころ、毎夜多数の男女の参詣者が桜の造花を買い求め、「花を換えましょう」とお互いに声を掛け合って、相手と花を取り換えるという情緒豊かな伝統行事となっています。
大正天皇が訪れた鴎ヶ崎です。花換の道という可愛らしい名前の道の先にあり、ここにも桜が咲いています。この辺りは既に散り始めていました。
敦賀の唄の中に「四季の敦賀」という唄があり、昭和六年に実業家の宇野泰三氏が土岐善麿に作詞、町田嘉章に作曲を依頼して作らせたもの。その中に「春の敦賀」として、
「そぞろ心のゆきずりや 花換祭りおぼろ夜の 灯かげ彩なす思いをば たれにあかさん胸のうち」
という一説があるほどです。
ちなみにこの唄は武田耕雲斎の悲劇の唄として書かれたもののようです。
何にしてもそんな唄の中にこの金ヶ崎の桜を連想する歌詞が詠まれているのです。
参考:『敦賀市史 通史 下巻』
下から見れば、山を覆う桜雲
結局郷土史を見てしまいましたが、ここからは本当に楽しむだけです。
かつての敦賀港駅から見れば線路と桜のコラボレーション。
山肌に咲く桜はまさに山にかかる雲の様。
この写真は散り始めなので、満開時はもっと濃い桜雲となっていたことでしょう。
金ヶ崎緑地から。
こちらは桜の木が多く植えられているため桜で埋め尽くされているのです。
夜桜とライトアップ
夜になりました。提灯の灯りに酔いしれるのです。
なかなか風情ある空間です。結構散っていたイメージでしたが、こうしてライトアップされていると、夜はまだまだ見ごたえがあります。
社殿付近です。
この辺りも良い雰囲気ですね。人も多いので怖くないですよ。
こういう夜の神社の雰囲気も時には味わいたいものですね。
階段にも多くの提灯がかかっているので、足元安心です。
狐火が如く山へ延びる灯り
そんな夜のライトアップ金ヶ崎をしたから見ると、なんと狐火かと思うような光景でした。良いものです。
でも狐火ってこんな感じなんだろうなぁ。
鳥居が見えます。
暗闇に照らされて浮かび上がる鳥居も、この時期にしか見れない光景なのではないでしょうか。
桜雲の中に灯る提灯の灯りがなんともいえぬ日本らしさを感じさせます。
まあ、日本でしか味わえないでしょう。こんな光景は。すばらしいですね。
真冬の極寒雪桜
さて、今までは桜の金ヶ崎を見てきましたが、実はもう一つ桜と言えば外せない季節があります。
これは金ヶ崎に限らずではありますが、この山の上の金ヶ崎でしかも神社内だからこその情緒ある光景が広がる季節。それが真冬。
桜の木に雪が積もる早朝。それがこれ。
真冬の雪の桜です。
訪問は2023年1月29日。
といっても、まあ、見ての通り雪です。
でも私はこの風景にすごく惹かれるのです。桜の木には何を乗せても桜に見えるのでしょうか。そんな形をしていると思います。なので雪が乗ると真っ白な桜が咲いているように思えます。
ただこの日が大雪だったので、あまりにも降りすぎて地面も長靴が危ないくらい積もっていました。
そんな冬の魅力もある金ヶ崎宮なのでした。
金ヶ崎の「桜」を楽しむ
金ヶ崎の桜といえば花換まつりなどありますが、今回の記事は純粋に桜を楽しむ形で紹介しました。少し郷土誌も見ましたが、その辺りを知ったうえでの訪問もまた良いものでしょう。
いろんな季節に魅力のある金ヶ崎。秋には紅葉もあります。
敦賀は金ヶ崎でいろいろ頑張っているので、今後も様々な魅力が生まれるかもしれませんね。
基本情報
最寄り駅 | 北陸本線敦賀駅から徒歩32分 |
自動車 | 敦賀ICから5分 |
駐車場 | 金ヶ崎緑地に多くあり |
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