福井県勝山市片瀬に「片瀬の大岩」というものが存在しています。それは怪談とも怪異ともとらえられる県内でも随一の不気味な伝説です。
この伝説にはさまざまな言い伝えが伝わり、小人伝説、大男伝説などその一つ一つが謎、不気味さに包まれています。
この大岩の現地の様子も見ていきます。
地理
今回取り上げる大岩があるのは大師山の麓。
後で伝説でも見ますが、むかしは片瀬から勝山の町に行く際はこの山沿いの「片瀬道」を通っていたようです。つまり片瀬の主要道沿いにあるということですね。
今は近くに越前大仏があり、すぐそこには国道157号線が通って騒がしい場所となっています。
片瀬はいまでは所々農地はあるものの、ほとんどが住宅地となっておりこの大岩付近にも建物がありますが、むかしからの集落は越前大仏よりももっと南にあるので、この大岩からはだいぶ離れていた。つまりはずれの地にあったということになります。
伝説
片瀬の大岩
勝山の町から片瀬の方へ、山づたいに歩いて行くと、右手に大きな岩がある。村人はそのあたりを岩もとと言い、今から三、四十年前までは大の男でも身の毛がよだつほどの話が信じられていた。
町での用事をすまして、暗い夜の帰りみちやがて大岩のあたりにさしかかると、数人の小人が、ペチャクチャしゃべりながら現れて村人をとりかこんで、ちょうちんの火で顔をのぞきこむ。うわさには聞いていたが、こわくなり思わず悲鳴をあげると、そのとたんに、ちょうちんの火が消える。そのあとも小人らは、歌をうたいながら、大岩のぐるりを踊りまわっている。
時には昼間のうちから、小人らが拍子木を鳴らして大岩のぐるりを駆けまわっている。田んぼで働く村人が、勇気を出して近づいて行くと、小人の姿はもうどこにも見えぬ。もとの場所にもどって振りかえると、小人はまた岩の所で遊んでいる。
一説では、ある暗い夜村へ帰る女が、ひとりで馬をひいて、あたりを通りかかった。すると不意に、大男が現れて、女の顔をのぞきこみ、ニイッと笑った。同時にちょうちんの火が消えた。それから男は、山の上へかけのぼり、上から大岩をごろごろころがした。女はそのまま気が遠くなり、馬だけが村へもどって来た。村人たちは、何事が起ったかとかけつけたが、すでに女は死んでいた。
それからしばらくたって、この大岩あたりへ、小人が出るようになった。村人たちは、お地蔵さまを大岩の横に立てた。大岩は最近になって爆破してしまった。区画整理のためである。
引用:『越前若狭の伝説』
- 小人伝説
- 巨人伝説(大男伝説)
この二つが同時に伝わる伝説です。
余りにも不気味な伝説。怪談というには驚かすインパクトに欠ける。静かな恐怖。それがある意味本物の怪談なのかもしれませんが、その静かな不気味な恐怖が真の恐怖というものなのでしょう。
この伝説の時系列的には、
- 大男伝説(巨人伝説)で女の人が殺される。
- 大男が出現して女の人が死んでから小人が現れるようになった。
ということのようです。
つまりこの小人は、女の人の亡霊なのか。
この小人伝説は間引が多かった江戸時代に、亡霊信仰が表に出たものであろう。各地に多い
引用:『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』
と『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』で述べられています。
間引・・・。つまりは子殺し。
小人は複数人います。子殺しが多いが故に複数人集まったということでしょうか。
これがまた不気味さを引き立たせる。よく伝説内で見る亡霊や幽霊とは次元が違う気がします。
端的に「亡霊信仰」の一部だとしても、これはいろいろと考えてしまうものです。
- 子殺しのために殺された子供たちの亡霊
- 女の人の亡霊
- 女の人の霊魂に引き寄せられて来た子供たちの亡霊又は正体不明の全く別の存在
- 大男側の何か
- 「そういう土地」に寄って来た子供たちの亡霊又はそういった存在
- 村に伝わる独自の怪異
妄想が捗ります。
そうですね。ある意味「怪異」寄りの話に思えます。
そういうのが好きな人にとってはかなり好きな部類の話でしょう。
ただしこんな話も残っています。
大岩(片瀬)
「片瀬の大岩」といって田の中に大きな岩がある。春の暖かい頃はこの辺へ摘草に来る。其の度にこの大岩に上って遊ぶのである。岩の上は平たくなって遊ぶのに都合がよい。この岩は昔、このあたり一面に非常に大きな大水が出た時、大蛇が何処からか運んで来たのだと云われている。
引用:『福井県の伝説』
なんと普通の遊び場になっていたようです。
これはどういうことなのでしょうか。
昼間にさえ小人が出現すると恐れられていた大岩で普通に遊んでいるというのです。
やはり間引がちらつきます。「小人」ってやはり子供たちの事だったのでしょうか。しかも現実の子供の可能性も捨てきれなくなってきました。
そもそも小人ってどのくらいの小人?
「小人」というとグリム童話のような小人をイメージする人が多いと思います。
私はその感覚でこの伝説を見ていました。
それに伝説で昔の話なら子供の事は「小人」ではなく普通に「子ども」、極端には「童」「童子」という言葉を使うと思います。今まで子供を「小人」という伝説は聞いたことありません。
その点で今回の伝説の小人は、グリム童話レベルの小人だと思っていました。それこそ正体不明の理解不能な存在。
間引きによる死んだ子供たちの霊というなら、特に子供にする必要はなく、グリム童話的な小人でも、ある意味姿かたちは不気味さを引き立たせる一つの方法かもしれません。
大岩の現在
「大岩は最近になって爆破してしまった。区画整理のためである。」とありますが、『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』では下記のように書いてあります。
大岩はいま、土地区画整理のため、半分は埋もれている。
引用:『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』
つまり完全な状態ではないにしても、まだ今も残っているということのようです。
というわけで探してみることにしました。

猪野瀬公民館前にこのようなマップがあります。そこに…

片瀬の大岩が書かれています。
さらにかつて勝山市内で配布されていた猪野瀬の地域マップ「いのせウォーキングマップ」という地図があるのです。持ってます。このために取りに行きました。
そこにはなんと写真付きで紹介されているのです。
①片瀬の大岩
今から460年以上前の天文8年(1539)に書かれた「平泉寺賢聖々領所々目録」の中に「鼻岩」という名で登場する大岩。かつては旅人の道しるべとして重宝されていました。現在は風化で半分が地中に埋没していますが、地表に顔を出した部分だけでも当時の偉容を偲ぶことができます。また、古来から夜ここを通ると「小人」が現れていたずらするなど、この岩にまつわるさまざまな言い伝えが残っています。
引用:『いのせウォーキングマップ』
というわけで、現在も残っていることは確定。現地へ向かいます。

石材店に隣接する形で残っています。

確かに地面に埋まっており、なかなか異様な光景ではあります。
ここが小人やら大男やらが現れた怪異の現場なのですね。

よくみると、道路に少し顔を出した岩もあります。やはり区画整理で少し削られているのでしょう。もっと横幅も大きかったのかもしれません。


岩の上には観音様が祀られており、新しい花も手向けられています。今でもお参りに来る、というよりしっかりと祀られている場所ということが分かります。
伝説は生き続けているのかもしれません。
県内随一の不気味な伝説に込められる思いとは
今回は残念ながら、伝説の小人にも大男にも会うことはできませんでしたが、現地に大岩が残っていることは確認できたので、「その現場」に足を運ぶことはできました。
果たしてこの伝説は何だったのか。
「間引が多かった江戸時代に亡霊信仰が表に出たもの」という郷土史の見解。
この間引の話を見ると、なんだか切なくもあります。
昼間は生きている子供たちの遊び場。
夜は間引きで死んだ子供たちの霊魂の遊び場。
ときどき、死んだ子供たちも昼間に遊んだ。ひょっとしたら生きている子供たちと一緒に遊んだのか。
不気味さ漂う伝説には、純粋な恐怖と、時代の人の心、負い目、懺悔、教訓などが込められているのかもしれません。
参考文献
『福井県の伝説』著者河合千秋 出版昭11
『越前若狭の伝説』著者杉原丈夫 出版1970
『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』出版1974
『いのせウォーキングマップ』
基本情報(アクセス)
最寄り駅 | えちぜん鉄道勝山駅から徒歩31分 |
自動車 | 勝山ICから11分 |
駐車場 | なし |
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