仕事や生活で「責任」は必要、「負担」は人を潰すいらない物

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責任と負担

仕事をするうえで、「なんでこんなに責任の重い仕事をやっているのか」「責任のない仕事がしたい」「責任なんていらない」と思う方もいると思います。というか私もずっと思っていました。つい数週間前まで。

まあ、職場でいろいろあって、私しか責任者というか社員がいなかっただけなのですが・・・。

しかし、私は悟ってしまったのです。
責任のない仕事なんてない。いや、もっと言えば、責任のない生き方なんてないことを。
しかし、明らかに不要なものがあると。

今回それを書いていきます。

責任とは

まず、「責任」とは何なのか。
辞書で調べてみますと、

  1. 自分の分担としてそれだけはしなければならない任務
  2. 不結果失敗に基づく損失や制裁
  3. 人間の自由な行動において課せられるもの

元々、というか本来の意味としては、自由であるからこそ「責任」があるということらしいです。

私たちは自由でしょうか。

自由だったのです。

権利なんてなくとも、会社に縛られていようとも自分の行動・言葉はその人しか操れず、その人が起こしているもの。と、とらえられてしまうようです。

今私たちは、時間に縛られ、金に縛られ、ルールに縛られ、体の限界に縛られ各々度合いは違えど「不自由」であるということは言えるでしょう。

ただ、自分がどう行動するか、どのような言葉を発するか、または発しないかは自由なのです。

責任の意味①にしても、結局「任務」をどう遂行するかは自分のやり方次第・・・。
そんな私たちには、常に責任が付きまとうということ。らしいです。

「責任のない事」なんて存在しなかった

この世に責任のない事なんて存在しないと思うのです。

逆に言えば、私たちはここに生きて時間を過ごしている時点で、何らかの責任を背負っています

例えば

  • 街を歩く・・・街を歩く責任。(公共の場に訪れる責任。他の人への配慮。)
  • 車を運転する・・・運転する責任。(同乗者、通行人、他ドライバーへの配慮。)
  • 家に住む・・・家に住む責任。(隣人への配慮。家事の責任。町のルール。)

つまり、動詞が付くこと「動作・状態」には何らかの責任を私たちは必ず背負っているということです。むしろ、「責任」がなければならない状態に常にいるのです。

そう考えたら、「責任のない仕事」なんてあるはずがないのです。
「仕事をする」こと自体が、動作や状態なのですから。

つらい。

「責任が重すぎる」「責任感が強い」とは何なのか

では、ここで「責任」について本気で悩んでいる方について記していきます。

見出しにあるように、「現状の責任が重すぎる」「責任感が強い」といった状況や状態の方が、責任について大分悩まれていることかと思います。

とはいっても「責任感が強い」というのは、個人の特色みたいな部分もあります。ここについては、とやかく言うことも野暮だと思っています。
ただ、一応この記事を見ておいてもらえればと思います。今の「責任」の正体がわかるかもしれません。

はい、では「責任が重すぎる」ということについて。

この「責任」とは何なのか。生きているだけで責任を負っている私たち。それに加えて、さらに来る仕事の責任。責任、責任

さて、この状態は何と言えるのでしょうか。

「負担」です。

私たちが苦悩するのは「責任」ではなく「負担」

責任とは常です。生きているだけで、存在しているだけで多くの責任が付きまといます。

そして、私たちは、責任が増えれば増えるほど負担を抱えます。

どのくらいの「責任」が「負担」になるのか、どれほど大きな「責任」が「負担」になるのか。それは個人によって許容範囲が違います。

つまり、私たちが苦悩し、絶望しているのはこの「必須である責任」がどのくらい「負担」になっているかの度合いだと思うのです。

責任は必要なものです。
いらないのは「責任」ではなく、「負担」なのです。

仕事で、「責任が重すぎる」「責任が要らない」という「責任」とは「負担」のことなのです。

自分に合った「責任」を持ち、「負担」を減らす

私たちは、仕事でも日常生活でも精神的につぶれそうなときがあります。

「責任」に押しつぶされるのも、要は自分に合っていない、許容が越えている「負担」から来ているのです。
物は持てるが、どれくらい重いかによって持てたり持てなかったりするのと同じですね。

つまり自分が持てるだけの負担を持つべきだということでしょう。

  • 仕事を振る、役割分担をするという方法。
  • はっきり「できない」と訴える方法。
  • ちゃんとした形で、辞める・撤退するという方法。

責任は必要なことであり、投げ出すことはできません。
ただ、その責任によって生じる負担を、どこまで自分にあったものにするかが重要なのでしょう。

まあ、なかなか難しいんですけどね。
私もできてないと思います。

その負担の調整すら許されない状況にいるのなら、サボタージュ起こしてもいいと思いますよ。

保証はできませんが・・・。

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