勝山市の布市集落は、旧荒土村の区域内にあります。
今回はこの、布市集落と集落内にある市姫神社の由来と言い伝えを探っていきたいと思います。
主に参考にした郷土資料は『勝山市史』です。
布市の由来
まず、この「布市」という集落の名前、その名の通り、昔は布の市があったといいます。
時代は平泉寺最盛期ごろ、室町時代後半です。
布の市が立っていて、とても賑わっていたようで、そこから「布市」という名がつけられたそうです。
昔から、勝山町ー郡ー五本寺ー黒原、仲乃橋を通り布市へ、そして大日峠を越えて加賀の新丸村まで続く、主要道路だったそうです。
そこからさらに、加賀の野々市まで交易があったようで、特にたね油の行商人の行き来が多かったそうです。
この道にある集落ということもあり、町くらい賑わっていて、村の中心を大町という地名がつけられるほどだったといいます。古くより布の市が出来て発展していた村だということが地理から見ても地名から見てもうかがえます。
この街道の黒原ー布市に架かっていた「仲乃橋」ですが、今もその名前のつく橋があります。
いまでも、大きな道となっています。車も結構通る道です。今も付近の町の主要として使われています。
もちろんこれは、昭和になってからの橋ですが、近くの野向町竹林集落の案内板には、
「勝山から加賀新保に至る街道に架けられた、野向町の玄関となる橋」
と書かれており、当時からの由緒を伝えています。
市姫神社
市の神様
全国には「市」のつく地名は多数存在していて、その多くは古くよりなんらかの「市」があったものです。
そしてそれに伴って、「市の神様」というものが祀られてることがほとんどです。
この布市集落にもその「市の神様」が存在していました。
それが「市姫神社」です。
福井神社庁にも神社誌にも載っていない神社ですが、この布市集落を語る上では欠かせない存在です。
集落内に、その社があります。
鳥居や囲いは新しく、周りの木や草は手入れが行き届いていました。
布市の村の人たちは、この「市の神様」を祀って、市の繁栄を祈ってきました。
いまでも、この神社が大切にされていることがわかります。
ちなみにこの神様は、氏神ではありません。
この村には、他に「少彦名神社」という神社があり、そちらが布市集落の氏神になります。
なのでこの「市姫神社」は、本当に布の「市」の神様ということです。布の市がこの辺りで立っていたという歴史を伝えているのでしょう。
(少彦名神社については、後日もう一つの記事で紹介します。)
市姫神社の言い伝え
この市姫神社にはちょっとした言い伝えがあります。
この言い伝えは、一部の地域の人には少し嫌なものかもしれません。しかし郷土史に書かれているので、これはそのまま紹介します。
布市の神様 布市はむかし布織りの盛んな所で、布の市がたった。その神様として市姫神社をたて、女神様をまつった。むかしからの神様はぬすまれ、今は加賀の市野々にあるという。 ※「加賀の市野々」は「野々市」の間違いか 引用:『越前若狭の伝説』 |
市姫神社の御神体はいつの間にか野々市の行商にとられてしまったという。 市の神様、市姫を祭る神社が(23)炭吉にあったが、加賀の野々市町の布市神社に移されているといわれて、再三、大日峠を越えて取戻しにいったという。 引用:『勝山市史』 |
まあ、こういう郷土史の話にはよくある話ですね。別の地方の関係する地名に神様を取られるという話は。
しかも、話によっては盗まれた状況も違うのです。
加賀の野々市には本町に、たしかに布市神社という神社があります。
ちなみに、この布市神社のある石川県野々市側の資料、2004年の『野々市町史』と昭和2年の『石川県石川郡誌』、明44年の『石川郡誌』には、このことは一言も書いていません。
言い伝えの考察
私は、これは「伝説」として、仮想の昔話程度に思っているのですが、一応真剣な考察をします。
今回は、『勝山市史』の方を考えていきます。
(以下に書くことは、勝山市布市、野々市市ともに否定しているわけではありません。こういう話は本来、昔話程度に楽しむものでしょう。)
ーーーーー
引っかかる部分が2つあります。
1つ目… 2つ目… |
・
1つ目の問題については、おそらく、これは「布市」という名前が同じ神社があったということで、昔から交通が盛んだった加賀野々市(旧名:布市)にある「布市神社」に憶測で目を付けたのでしょう。
本当に勝山の布市にあった市の神様が無くなってしまったのでしょう。しかしいつ誰に取られたのかわかりません。それは福井の人かもしれないし、または全く別の地域の人かもしれない。単にそこら辺の盗人かもしれない。
しかし、交通が盛んな地域に「野々市(布市)」というところがあって、そこには布市神社もある。だからそこに持っていかれたのだろう。と、なったのかもしれません。
ただここで問題になってくるのが、2つ目の問題です。
というのも、石川野々市の「布市神社」というのは、大正3年6月まで「(富樫郷)住吉神社」という名前だったのです。
「布市神社」ではなかったんです。
つまり、福井県側の郷土史の『勝山市史』に書かれている話は少なくとも、大正3年6月以降に現れた話になるということかと思うのです。
たしかに昔発生したこの事件に、あとで「野々市の布市神社」という文言を付け足したのかもしれません。
ただ、そうだとしても今まで見た郷土史の法則で行くならその場合「野々市の住吉神社(現:布市神社)」という形にするはずです。
ちなみに福井側の資料、明治44年45年大正元年の『福井県大野郡誌』には、この事は一切かかれていません。
いずれにしても、結局はこの話の真相はわかりませんが、近代にできた話(出来事)だということは間違いなさそうです。
「神様が取られた」ということを前提に話しますと、昔からの村の大切な神様を何者かによって盗まれてしまったというのは、布市の人たちにとっては、もの凄くショックな事だったと思います。
そして、それを取り返して今しっかり祀っているというのが、集落にとっても心強い話となっているのでしょう。
まあ、こういう類の話は、作り話であろうが本当の話であろうが、あまり深く掘り下げない方がいいですね・・・。
(あと、たまに、村外で作られる場合もあるので・・・なんとも・・・)
「悲しい昔話」という感じに思っておいた方がいいと思います。
(村の大切な神様を取られたのは、誰に取られたにせよ、本当にひどいものです・・・)
私は勝山の布市も市姫神社も、石川の野々市も布市神社も好きでございます。
「市姫」の名がつく桜並木
布市集落の東側にある桜並木の名所の名前が「市姫桜」です。
およそ700メートルのソメイヨシノの桜並木。
平成に誕生し、管理運営ともに布市集落がやっているとのことです。
この市姫神社から取っているのでしょう。
今もなお名前は受け継がれ、布の市が盛んだったころの時代の面影を知ることができる、そんな集落です。
勝山の観光に来たら、こういった集落に伝わる言い伝えにふれてみるのもいいと思います。
参考文献:『勝山市史』『福井県大野郡誌』『野々市町史』『石川県石川郡誌』『石川郡誌』『越前若狭の伝説』
基本情報
アクセスは…
国道416号線の布市の看板とようこそ越前大佛の看板の信号を北へ。
駐車場はありません。
コメント