若狭大島の「涙水」伝説~その涙の主は誰なのか【おおい町】

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涙水

福井県おおい町大島に涙水という場所があります。釣りで有名な場所らしいですが、ここにはとある伝説があります。

この伝説には二つあり、ある姫様が涙を流した場所とも、また嫁姑問題で犠牲になった嫁が涙を流した場所ともされ、どちらともがここで命を落としています。そんな悲しい伝説が伝わる場所です。

今回はそれらの伝説を見ていきます。

地理

『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』出版2018年によると、その涙水がある場所は大島の集落群がある場所よりも南の岬。腰倉山の東麓の岬付近であるとされています。

それが最初に掲載した写真の中心付近の右から左へ岬が伸びている先端のあたりです。

涙水があるのは、陸地から行く道がないところにあり、一般人では到底たどり着くことはできません。

なのでこうして遠くから望むしかないのです。

伝説

姫様の涙

 昔、貴いお方のお姫様が大島に来られて、泣き明かして死なれた。其の涙が泉に徹って、一年中増しもせず、減りもせず、点々として永久に其の恨の涙を流しているので、涙水と呼ぶのであるという。
いにしへの命にかはる涙水 いまに流れてかはく間もなし
引用:『福井県の伝説』 著者河合千秋 出版昭11

『大飯郡誌』出版昭和6、『大飯町誌』出版平成元年にも同じ内容のことが書かれていました。

また『大飯町誌』には涙水の写真も掲載されています。どんな場所か気になった方は一度見てみてください。

どういった経緯で姫様がここにきて、なぜ泣いて、死ぬまで泣いてしまったのか。というのがいまいち不明点だらけな伝説です。でも地域の伝説はこういった漠然とした内容の伝説も多いので、珍しいことではありませんが。

嫁の涙

 本郷から大島へ通う船の中から気をつけてみると、一の浦と大の浦の中程に洞穴があって年中清水がわいているのが見える。これは『涙水』といって、昔、大島村で嫁いじめの姑があって、ヨモギつみに舟でここへやって来て嫁だけのこして帰ってしまったので嫁は悲しみのあまりここで身を投げてでも死んだのか、とにかくその嫁の涙がそのまま今でも清水となってわいているという。作者はわからぬがこんな歌まで伝えられている。
いにしえの命に代るなみだ水今に流れて乾く間もなし
引用:『若狭の伝説』出版1954

最後の歌は姫のタイプと同じでした。

しかしこちらの嫁姑の話は、なかなかのひどい話ですね…。ある意味怖い。

ちなみに『越前若狭の伝説』には、『若狭の伝説』と『大飯郡誌』に載っている内容が書かれていました。

共通点

この涙水の共通点は、

  • 涙が清水となり湧き出ている
  • この場所で死んでしまう
  • 同じ歌が残っている

という点ですね。

歌に関しては、伝説な内容というよりかは本当にその地に誰かが残したものなのでしょうから同じであるという点は当然かと思います。

むしろこの歌が重要なのかもしれませんね。

いにしへの命にかはる涙水 いまに流れてかはく間もなし

「命に代わる涙水」とは死んでしまった人の涙水ということで、両方の伝説のパターンにも共通する部分です。その涙水が今まで流れ続けて乾く間もない。ずっと流れ続けているということ。つまりこの歌だけで共通点がすべて語られています。

もしかしたら、伝説のパターンは後で付け足されたものなのかもしれません。

それが本当に似たようなことがあったのか。

いろいろと想像できます。

悲しき伝説に地名

いずれにしても悲しき伝説。

そんな伝説を清水に例え、地名に残してまで言い伝えようとするのはやはり素晴らしい文化なのだと思います。

どうかこれからもこの地名が残り続けること、そしてその由来が語り継がれることを願います。

参考文献
『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』出版2018年
『福井県の伝説』 著者河合千秋 出版昭11
『大飯町誌』出版平成元年
『大飯郡誌』出版昭和6
『越前若狭の伝説』 著者杉原丈夫 出版1976
『若狭の伝説』出版1954

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