晴明神社の歴史由緒と祈念石の伝説~祈念石の写真付きで説明【敦賀市】

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晴明神社

福井県敦賀市相生町に安倍晴明と保食神を祀る晴明神社があります。

土日は開いていることもあるが、普段は鍵がかけられており、電話で予約してから行くのが良いです。町の中にあるので周回としてアクセスも良好。御朱印やお守りも中で頂くことができます。

中には稲荷が祀られておりその謎は二つの言い伝えがあります。今回は少しばかり晴明神社を深堀りしていこうと思います。

御祭神・沿革

御祭神:安倍晴明命、保食大神、春玉稲荷神社(春玉稲荷大神)(相殿)
創立不詳。かつては晴明稲荷と尊称したが、明治十一年に晴明神社と改称。明治時代には清明町、後に晴明町という町の名前にもなった。元は元敦賀郵便局前の朝市場の地に鎮座していたが、大正四年に移転、大正五年に社殿建立。昭和二十年の空襲により焼失後、同に十四年秋に再建。
参考:『御大典記念福井県神社誌』『敦賀郡神社誌』

晴明の文字を用いたのは安倍晴明の信仰していた、晴明稲荷社及び祈念石があるからによると云う。
引用:『敦賀郡神社誌』

主な信仰は、防火の神とされていたようです。

保食神の旧跡あり、晴明火防神と号し尊敬す。
引用:『福井県神社誌』

ただし疫病などを鎮めたという伝説もあることから、やはり様々なご利益があるという認識のようです。

晴明神社

稲荷神社はまさに晴明神社と共にあり、晴明神社の祠の両脇にはお狐様が鎮座成されています。

由緒伝説

安倍晴明の伝説

晴明神社

晴明神社は古くより保食神の旧跡で、正暦年間安倍晴明中橋町に住み、天文地文の研究をし、日夜この祠に参詣して信仰していた。加えて、邸内にも保食大神を祈念し、天文の奥義を究めるために供した霊石があり、後にこれを晴明の祈念石と呼び、又晴明稲荷と尊称した。
参考:『敦賀郡神社誌』

正暦年間(990ころ)裏の門町(神楽町二丁目)に安倍晴明が住んでおり、中の橋(相生町)にある保食(うけもち)の神の旧跡に日参して信仰していた。
引用:『越前若狭の伝説』

晴明神社としてただ祀っているのではなく、実際に安倍晴明がここにいたという伝説なのです。

若狭にはいくつか安倍晴明の伝説が残る地があります。京都から敦賀まで来る最中にその伝説が起こったのであれば、この地に伝わる伝説も他の若狭の地に伝わる伝説もつながってきます。

かつて安倍晴明が崇め祀っていた保食神と安倍晴明自身、そして安倍晴明の出生に関わるであろう稲荷社。これらが一堂に祀られているというのはなかなか価値のある、いわゆる聖地なのではないでしょうか。

南北朝時代

平山家の文書が一巻宝物として残されており、それによると、晴明神社の再建の話は南北朝時代までさかのぼるともされています。

源平の乱のときに社殿が破壊され、保食の尊像・晴明直筆による三神の像・祈念石は残ったが、その後の南北朝時代、金ヶ崎の戦いで失われた。金ヶ崎の戦いで戦った平山善久という人が、越前の新田義貞に面会してこの乱を告諭しようと思い足倉峠まで来たが、そこで休んでいると高い松の木の上から声がして、「越前へ行くな。労して功がない。この上の不運になる。元の所へ帰れ。」といわれ、善久はよくよく考え、帰って身を隠した。

その時にこの地に隠匿したという伝説が残っています。

その際、裏地に隠れ家を建てようとしたところ、次のようなことが起こりました。

土中ヨリ晴明三神ノ宸筆保食ノ神像白狐ノ玉石ノ下ニアリ是ニ仍テ此石聞及祈念石ト推尊シ(略)

引用:『敦賀郡神社誌』

つまり、石の下から

  • 三神ノ宸筆
  • 保食ノ神像
  • 白狐ノ玉

が出てきたのだといいます。

これによって、その石を祈念石というようになったということです。

善久はこれらを隠れ家に祀り、三代目の子孫が神殿を作って祀ったということです。

祈念石とその周辺の伝説

祈念石について

晴明神社

※許可を得て撮影掲載しています。中にカメラを入れてはいけません。

現在、祈念石は社殿の中の祠の下にあり、のぞけば見ることができます。
そして有名なのは、1円でも良いからお金を入れて、その石の上に乗れば良いことが起きるというものです。

『敦賀郡神社誌』によると、祈念石は宝物として、大きさは高三尺五寸位、厚一尺余位としています。

晴明神社

※アップでとっています。

現在の場所に祀られて以降誰も触れないのだそうです。

皆お金を投げていくので覗いてもどんな形状をしているのかいまいちわかりずらいかもしれませんが、結構変わった形をしています。晴明神社の社殿の中の向かって左の上の方に祈念石についての説明が書かれている額があります。そこにお金の載っていない祈念石の写真が載っています。

晴明神社

六角形で謎の線が入っているその形状は確かに何かの儀式に使われたのであろう不思議な形状です。

『敦賀志』にはこのようにも書かれています。

此の街(裏門町)の西側の裏に道後神の社有りて、安陪清明ここに来りて拝礼せし時の座石と云う物遺れり(吉川某の裏に此の石を小祠に祀りてあり。)
引用:『敦賀志』

座石だった可能性が出てきました。これが祈念石のことを言っているのかは不明ですが、可能性はあります。

防火の霊験

安倍晴明が天文学を究めるために祈念した祈念石はそののちにも様々な霊験を発揮します。

まず、

長保年間(999ころ)諸国に火災があり、京・伏見はもとより当地にも炎焼があったので、晴明は火災よけの祈念をした。その石を火よけの祈念石としてみなの者が尊敬した。
引用:『越前若狭の伝説』

という伝説から始まり、それ以降も防火の霊験として、何度か兵火で焼けている町でこの周辺で鎮火したという話が残っています。

  • 建武四年の金ヶ崎の戦いでこの近隣で鎮火。
  • 天将年間織田朝倉の兵火でも晴明神社付近で鎮火し災を免れた。

それに加えて、昭和20年の敦賀空襲では、社殿は焼けてしまったものの朝市の町は焼けずに今も昔ながらの町の風情を敦賀内でわずかに残している地区となっています。

また防火以外にも疫病を防いだという話もあります。

長徳年間(995ころ)市・在に悪疫が流行し、多くの人が死んだ。よってこの神社に祈祷したところ、市・在ともに流行を免れた。
引用:『越前若狭の伝説』

祈念石の伝説

昔、ある人が赤ん坊の襁褓(おしめ)をこの石にかけて干していたところ、腹痛を患った。早速医者に診てもらったがそれでも治らず、易断を乞うと「邸内に神岩あり、是れを汚穢したるにより、神の御気色を損い奉っているからである。速やかに浄水を以て洗い、塩を以て清め、その粗忽を詫びねばならぬ」と教えられその通りやると、腹痛は癒えたという。それ以降より一層祭祀を厳かに行うようになった。
参考:『敦賀郡神社誌』『福井県の伝説』『越前若狭の伝説』

よくある神聖なものを汚すと罰が当たるというタイプの伝説です。

祈念石は一つの儀式に使う道具や石などというのではなく、もはやそのものが神のような存在なのでしょう。

防火の伝説にしても、晴明神社そのものということでもありますが、この祈念石自体が御神体のような、崇める対象のような存在になっているのですね。

今ではそれが昔と変化している点かもしれません。

今はこの石にお金が載れば良いことがあるという、一つの「物」という考え方のように思えます。
祈念石は昔の人にとっては「物」ではなく「神」だったのでしょう。

いつからお金を載せると良い、という言い伝えになったのかは不明ですが、これも一つ時代の流れとともに変わってゆく信仰の形態なのかもしれませんね。

宸筆・神像・白狐玉

先ほどでてきた、祈念石の下にあったという三つの宝物についてです。

宸筆のことはわかりませんが、空襲で燃えてしまったのかもしれません。
その他、

  • 白狐玉 一、箱入 古来よりの伝来と云う。
  • 神像 金造自二寸 木造至三寸 三体

が昭和8年の『敦賀郡神社誌』時点では宝物として残されていたようです。

白狐玉は葛の葉伝説に由来するのかもしれませんが、詳細は不明です。ただし白狐玉については、管理の方に聞いたところ、「そのようなものは伝わっていない」ということでした。稲荷神社が晴明神社内にある理由も、白狐玉が関わっているわけではないとのことです。

昭和20年の空襲で宝物は焼けてしまったものと思われます。

語り継がれるべき伝説

こういった伝説がある中、やはり安倍晴明が本当にここに来ていたかというのは証明されておらず、その説を否定する方もいるそうです。

しかしこういうものはその地に伝わっているということに価値のあることで、最初から「それはありえない」で済ますのはつまらないと思います。

この敦賀に本当に来ていたかもしれない。そこで様々なものを残していったという伝説は、これからも語り継がれるべき一つの伝説だと思います。

参考文献
『御大典記念福井県神社誌』
『敦賀郡神社誌』
『福井県神社誌』
『越前若狭の伝説』
『福井県の伝説』
『敦賀志』

取材協力
晴明神社

基本情報(アクセス)

見学や中の参拝には事前予約が必要な場合があります。

念のため公式ホームページに載っている電話をして予約をしてからご参拝ください。

最寄り駅敦賀駅からバスに乗り換え博物館通りバス停または山車会館バス停から徒歩2分
自動車敦賀ICから7分
駐車場博物館通り交流広場駐車場
予約先https://tsuruga-kanko.jp/spot/shrines_temples/seimei-shrine/
上記ホームページに掲載されている電話番号へ
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