福井県美浜町に有名な彌美神社があります。その鳥居の前に謎の石があるのです。
そこにはかすかに六体の石仏が見え周りにも石仏が並んでいます。これはいったい何なのか。今回この石仏について『わかさ美浜町誌』から見て行きます。
地理(どこにあるか)
六体地蔵石仏があるのは彌美神社一の鳥居前。北谷西から集落に入る場合、ちょうど宮代の入り口にあります。
付近には舞鶴若狭自動車道が通り、現代の風景と化しています。
それでも大きな神社の鳥居前の道のわき、一角に祀られているその様子は意味ありげで、彌美神社に来る人も気になっている人が多そうです。
六体石仏の様子
砂地に埋もれるように立っている石。そこに6体の石仏が彫られています。
結構はっきりと残っていますね。
花が供えられ、両脇にも石が建てられてあるようですが、よく見るとこれらもすべて石仏のようです。
本前には鳥居が立ち、彌美神社があります。何とも不思議な場所と感じます。いや不思議はないのでしょうけど、私はそう感じる場所でした。石仏であるというのに、あまりにも仏教色を放っていないので。
失礼ながらアイノカミにも似た趣を感じるのです。
郷土史『わかさ美浜町誌』に書かれていること
基本的な情報として、
- 高さ187.0cm、幅126.0cm、奥行き45.0cm(高さは地面に埋まっている部分も併せてか)
- 御影石でできている。
- 六体はそれぞれ六道を表し、禅林地蔵(錫杖)、無二地蔵(施無畏印)、護讃地蔵(憧)、諸龍地蔵(合掌)、伏勝地蔵(数珠)、伏息地蔵(柄香炉)である。
また、裏面には宝篋印塔が半肉彫で彫られ、銘文もあります。
後ろ側にもちゃんと花が供えられているのですね。
わかりにくいですが、左に
「大永八年二月日■■」
と書かれているようです。大栄八年は1528年。
『わかさ美浜町誌』によると、年代がはっきりしている石仏は貴重だとしています。
また、鳥居下の土地について。字名を「大門南」というそうです。貞治三年の寄進状をみると、そこはかつて上野阿闍梨の屋敷があったといい、御堂の屋敷であったとしています。この石仏の位置がそうである可能性を言及されています。
その裏付けとして、
大永五年(1525)閏十二月に、若狭守護武田氏被官(中略)粟屋元隆が園林寺に対して地蔵堂田一反を寄進したことが見えているが、この六地蔵石仏の造立と何か関係があるかもしれない。
引用:『わかさ美浜町誌 拝む・描く』
と書かれています。
園林寺は彌美神社隣接する宮代の寺です。
ここまで年代や土地が合致すると、研究する側も楽しいでしょうね。
信仰の聖地のような土地
正直私が言及できることは少なく、完全な歴史の話なので郷土史を元に見え行くしかないですが、それでも郷土史でいろいろと追及されており、可能性が生まれていく様子を見ていると楽しいものがあります。
彌美神社にしても「宮代」という名前にしてもそうですが、この集落はまさに信仰の聖地なのでしょう。
基本情報
最寄り駅 | 美浜駅から徒歩36分 |
自動車 | 若狭美浜ICから7分 |
駐車場 | 彌美神社駐車場 |
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