福井県大野市に麻那姫伝説という有名な伝説が伝わっています。
村のために身を捧げ入水した麻那姫。現在は麻那姫湖や真名川といったように土地の名前にもなっており、地域には黄金の麻那姫像なども建てられ、地域でも慕われる存在です。
水神宮や十文字蛇淵はその聖地とされています。今回はそんな麻那姫伝説を見て行きます。
麻那姫伝説
十文字長者と人身御供
十文字長者
むかし上庄十八ヶ村が千日照りといわれる大干ばつに見舞われた。村の人たちはわらで龍の形を作って、どうか雨が降るようにと祈ったが、一滴の雨も降らなかった。佐開に十文字長者という人がいて、水がないのに困りはて、九頭竜川と荒島岳から流れる鬼谷の合流点近くにあったふちのところで、神仏に雨乞いをした。するとその淵から大蛇が現れて、「娘をくれるならば、雨を降らせてもよい。」といい、娘を連れてくる期日まで告げて、長者に約束させた。
長者にはふたりの娘があったが、大蛇にくれてやるなど、とんでもないことだと考えて、やせおとろえるばかり心配した。娘たちは事の次第を聞き、姉ははっきり断ったが、妹の方は大蛇のもとへ行くといった。それで長者は泣く泣く妹娘をかごにのせて、くだんのふちへ行き、突き出た大岩の上に籠を置いた。すると荒島岳がにわかにかき曇り、稲光が走ると同時に鬼谷をとうとうと水が流れ出た。そしてその水が、大蛇のいる淵で大渦となって、真名川へ流れこんだ。その渦の中から大蛇が現れて、妹娘を籠ごとのみこんでしまった。長者は亀林という所を通って、家に着いたが、そのとたんにまた空が晴れわたったという。村の稲は枯れずに助かり、その年も豊作であった。
引用:『越前若狭の伝説』
物部氏(一説に十文字長者)には子供がなかったので、神様に祈って真名姫をさずけられた。ある年大干ばつがあって村中の田んぼが干上がった。真名姫は、崖の上から淵に身を投げた。するとにわかに雨が降り、稲田は生き返った。村人は真名姫が入水した川を真名川と名付け、崖の上には乙姫松を植えた。今でもその老松は残り、水神様(真名姫)をまつるお堂があって、村人の供養を受けている。
引用:『越前若狭の伝説』
十文字長者の娘
昔、真名川の上手に十文字長者という大変な金持ちがいた。そこには十五、六の真名姫というとても心優しく、美しい娘がいて家中の者にもかわいがられて幸せに暮らしていた。長者の家はこの娘を囲んで笑い声が絶えなかった。そんなある年、梅雨になっても雨らしい雨が降らない「からつゆ」があり、その上、夏の日でりも続き、田畑はひび割れ、川には水がなく、井戸の水を組んで田にやっても焼け石に水、大川から水を運ぼうとしてもその川でさえ少しの水しか流れておらず、あちらこちらで水の取り合いの喧嘩騒ぎが起き、しまいにけが人も出て、疲れ果てて寝込む人もおり、大変なこととなった。それで村人は集まって雨乞いの祭りをした。火を焚き、太鼓をたたき、踊った。お寺でもお宮でも、皆が神仏に祈った。十文字長者も大川の淵の神様にたくさん供え物をし、長者自身が身を清め断食して祈り続けた。するとある夜、長者の夢枕に淵の龍神が現れ、「お前の娘真名姫をわしにくれたら雨を降らしてやる」といった。夢からさめた長者は血の気が引いて全身が震えていた。このお告げは何があっても人には言わないと心に決めた。
それから長者は可愛い娘を龍神にささげるなどできない。しかしこのままでは村の者が飢え死にするか。と大変悩んで飯ものどを通らず日に日にやせ細り嘆き悲しんでいた。ところがそのことを知った真名姫が「私が竜神さんの所へ行くことで竜神さんが雨を恵んでくださり皆が救われるのなら、私は淵の底でも竜でも蛇でもおそれず喜んでこの身を捧げましょう。」といって、長者や村人が必死に袖をつかんでおしとどめる手を振り切って、高い崖から黒髪をなびかせて碧く深い深淵へ飛び込んでいってしまった。すると、雷が鳴りだし雨が急に降ってきて、みるみる田畑が生き返った。村人は皆手を取り合って雨の中で涙を流し大喜びした。しかし、龍神に身を捧げていった真名姫の姿や尊い気持ちに打たれて長者も泣き皆も泣いて雨の地面に座り込みしばらく誰もそこから立ち去るものはいなかった。中でも長者は腰を抜かしてしまい人に助けてもらい、這ってそのあたりを動き回っていた。その姿がまるで亀に似ていたので、今でも十文字蛇淵の上に「亀林」という所がある。真名姫が龍神に人身御供した淵を十文字蛇淵といい、この大川を真名川というようになったという。
参考:『奥越前の昔ばなし』
いずれにしても悲しい物語のようにも思えます。
心優しい麻那姫が村の人のために身をささげたという話。
麻那姫のその素晴らしい人間性から心打たれる物語ではありますが、やはり普通に可哀想です。
麻那姫と真名姫の二つの漢字で語られていますが、昔話で語られる字は「真名姫」のようです。
『越前若狭の伝説』の伝説は姉妹であるという設定だったようですね。自分が人身御供になるといったのは同じですが、籠に乗せられて淵まで行き、籠ごと淵に落ちるという何とも衝撃的で胸が苦しくなる内容です。
『奥越前の昔ばなし』では、村を救うために皆の反対を言葉の如く振り切って、自らが淵まで行き、自らの足で落ちていきました。十分これも悲しい話ではありますが、まだこちらの方が真名姫のかたい意志と覚悟を感じ、長者や村の人々も最後まで止めようとすること、そしてそれを止められず、一時は雨に喜びつつも、すぐに真名姫のことを想い悲しむ描写があること、これらがある点が、どちらかといえば『奥越前の昔ばなし』の方が情を感じる物語となっているように感じます。
さらにところどころ新情報が加わっている資料があります。1972出版の『福井県の伝説 第1集』です。
マナ姫の伝説
時は養老三年、所は大野市上庄在。ここに名望高い十文字喜平という庄屋がおりました。
その村は、九頭竜川(真名川)に沿う平和な農村でしたが、ある年のこと、恐ろしい日照りが続き、村人は大変心配しました。雨乞いの祈願をやっても、その効はなく、稲田は干上がり、井戸の水さえ涸れてしまいそうになりました。それでも喜平だけは、なお諦めずに心を込めて雨乞いを続けましたが、それから二十一日目の夜喜平の枕許(まくらもと)に竜神が現れ、「切なる願いゆえ雨を与えよう。されど汝の娘マナを竜神に捧ぐべし」と告げるや、その姿はたちどころに消え去ってしまいました。
これには、さすがの喜平も驚きおそれ、ただ黙念として数日を過ごしましたが、ついに竜神と約束された九月二十日という日がやってきたのです。
その日のことです。一人の白衣の美女が川の岸に現れたかと思うと、突然その女は、ばたりと淵に身を投じました。さて不思議や、このことがあって間もなく、この村に大雨が降って、村中を救うことができたというのです。
その尊い身代わりとなった白衣の美女というのは、言うまでもなく、喜平の娘マナ姫だったのですが、娘はすでに村人や父喜平の心中を知りぬいていたのでした。村人は、その真心に感激して、それからは、この川べりをマナ(真名)と名付けたといいます。
この伝説は、「真名」の地名を説くものだが、水神(竜神)の奉仕者たる巫女をマナ娘にたとえ、その人身御供によって水神を宥め、天恵の雨を祈ったものとしている。
引用:『福井県の伝説 第1集』
まさかの情報が多数。
- 年代が養老三年。
- 長者の名は喜平。
- 夢枕に立たれたのは雨乞いから二十一日目。
- 人身御供が行われたのは九月二十日。
いったいどこからこんな情報が。これもすべて伝わっていたのでしょうか。それならこれは、もはや伝説と一口に言えるものではなくなってきそうです。
それに伝説の内容も少々違います。
この伝説では、「マナ姫」はたった一人で誰にも言わず淵に行き身を投げたということになっています。
悲しさ漂う。しかし、なんともマナ姫の心の強さを感じる内容にも思えます。
乙姫と椀貸しの伝説
乙姫松
鬼谷と真名川の合流点近くに乙姫松と呼ばれる大松がある。その松の下は淵となっているが、近所の人が、祭りなどの時に、おぜんやおわんなどを借りたくなると、紙に品物の名や数、さらには品物を返す日などを書いて、そのふちへ投げ入れる。すると頼んだだけの品物が、その淵に浮かんできた。ところが心がけの良くない人が、淵から借りてきた品物を期日までに返さなかったところ、それ以降いくら頼んでも品物が一つも浮いてこなかった。
引用:『越前若狭の伝説』
十文字蛇淵の乙姫様
真名姫の話からずっと経ってからのこと、誰言うとなく真名川の十文字蛇淵には心優しい乙姫さんが住んでいるという話が聞かれるようになった。あるとき、貧乏な家の人がお客ごとをするのにお膳もお椀もなかったので困っていた。前日に十文字蛇淵に行って淵の中深くに聞こえるように「あすお膳十人前と、お椀十人前を、どうぞお貸しください。」と手をあわせてお願いした。翌日淵に行って見ると、とてもきれいな朱塗りのお膳十人前、お椀十人前が揃えて置いてあったという。この話が近所にも伝わり、誰でも客のもてなしに困ると二十人前でも三十人前でもお願いした。それでもきちんとお返しさえすればいつでも何人前でも誰にでも黙って貸してくださっていた。ところが、何十年も続いたある日の事、借りたものを全部揃えて返さなかったものがあった。その時からもう誰がお願いしても貸してもらえることはなくなった。今では十文字長者の真名姫と十文字蛇淵の乙姫さんが同じ方かどうかはもうわからない。
参考:『奥越前の昔ばなし』
よくある椀貸し伝説です。
最終的にちゃんと返さなかった人が現れて、それ以降椀貸しをしてもらえなくなったというのがこの手の伝説のオチです。
ただ、それをうまく真名姫伝説と組み合わせたものだと思います。
乙姫と真名姫が同一人物かどうかわからないとしてはいますが、同じ淵の姫である点でいえば、同一人物という考えで信じられていそうではあります。
それにしても、椀貸しにも「期日までに返さない」と「全て返さない」の2パターンがここで見られるとは。
色々なパターンを見せてくれる十文字蛇淵の伝説です。
麻那姫伝説の聖地
鬼谷と真名川の合流地点の十文字蛇淵
さて、聖地巡りをしましょう。
十文字蛇淵です。
鬼谷は、現在も存在し、川になっています。上から流れているのが鬼谷川です。そしてその鬼谷から流れてくる川は、今でも真名川と合流しています。なので、この十文字蛇淵は今もわかりやすいです。
真名姫はこの場所に落ちて行ったのです。
真名姫が身を投げたのは、佐開側なので対岸です。対岸の鬼谷側の向かって左側の崖になります。
今では木々が茂って、岩肌は見えるにしてもどこが頂点なのかはわからない状態になっています。
そして確かに松の木がちらほら見えます。乙姫松というのはどれのことなのでしょうか。
亀林
十文字長者が悲しみのあまり、亀のように這って家路についた亀林です。
亀林は現在田園となっています。
『大野市史・地区編』によると、亀林は小字3字で、現在の佐開遺跡の東あたりが亀林です。
段丘の地形になっており、ストリートビューでは素晴らしい風景を見ることができます。
ただ農道ですので、農業の時期に行くのは邪魔になってしまいますし、それ以外の季節は電気柵が道路にも張り巡らされる恐れがあるので行くことはあまりお勧めしません。
麻那姫湖の麻那姫像
毎年秋ぐらいにニュースになる麻那姫像です。
黄金の麻那姫像は、麻那姫湖の湖畔にたっています。
秋に行くと麻那姫の向かい側にある山が紅葉に染まるので見ごたえがあります。
そして麻那姫の背中にはトンボがたくさんとまっていました。とんぼにも慕われる真名姫なのです。
こうして像になって残っているのは素晴らしいことです。
ちなみに麻那姫像はもう一つあって、大野市上庄中学校の前にたっています。知らないだけでまだあるかもしれません。
水神宮
地元のWEBサイト『まな姫様の里 SFV建石農園』には、この水神宮が「まなひめ」水神宮様(五条方)」としており、下記のようにも書かれています。
今も、五條方区の人々は、まなひめ水神様を大切にお守りしています。
今年9月11日(第2日曜日、毎年変わります)には、水神様の前で酒を飲み交わし、麻奈姫様を偲んでお祭りをしています。
引用:WEBサイト『まな姫様の里 SFV建石農園』
http://www.mitene.or.jp/~sfvfarm/page032.html
未だに真名姫を想ってこうした祭りが続けられていると思うと感動ものです。
真名姫のために作られたという、乙姫末の下のお堂とはこの水神宮のことなのでしょうか。
しかし、国土交通省近畿地方整備局福井工事事務所のサイトには…
寛政年間(1789~1800)に真名川の大洪水で堀兼の堤防が決壊したため、上庄の村から大野の城下町まで田畑や家屋が流失した。大野藩は、多額の費用と多くの村人を動員し修築工事を行った。今後このような水害が起きないように、村の有志で水神を祀ることとなった。修築を行った堤防付近に天照大神を奉戴して安置することになり、その後、水神さんとして崇められてきた。
参考:WEBページ 国土交通省近畿地方整備局 福井工事事務所『九頭竜川流域誌』
https://www.kkr.mlit.go.jp/fukui/siryou/hen1/syou5/7minwa1.html
とも書かれており、麻那姫伝説とは関係が無いようにも思えます。
しかし、前者は地元の方が運営しているWEBサイトですので、地元の伝承では麻那姫を祀っているということなのでしょう。
社殿には天照皇大神宮と書かれており、国土交通省近畿地方整備局 福井工事事務所『九頭竜川流域誌』の記述に沿っているようにも思います。
どちらが本当なのかはわかりませんが、行政が発表している歴史と地元の方が受け継いでいる伝承、どちらが正しいとは言い難いので、どちらともありなのではないでしょうか。
いやむしろ、ここまで地域に身を投げてまで尽力した麻那姫を祀るという場所が今でも存在しているという伝承ならば、その伝承を守って、麻那姫をこれからも信仰していくことはとても価値があるものと思います。
麻那姫と十文字長者は物部氏か源氏か
さて、先ほどは軽快に無視をしていきましたが、伝説の中で重要なワードが出て来ていました。
なんと、十文字長者は物部氏なのではないかということなのです。
確かに佐開は物部氏を祀る荒島神社があります。『大野市史』では荒島権現の垂迹が物部連公朝臣というのです。
以前荒島岳の信仰の記事でも述べました。
https://kofukuroman.com/arashima-densetsu/
『福井県史』には
大野郡 物部万呂 大山郷
参考:『福井県史』https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T1/2a3-01-04-03-04.htm
と出ており、「大山郷」というのは「小山荘」の事だとされるということも触れました。
それが大野のほぼ全域という話もしましたが、荒島神社に物部氏を祀って、十文字長者真名姫伝説ではこの十文字長者が物部氏の一説ともとれるニュアンスで書かれていることから、佐開に物部氏が住んでいた可能性が濃厚になって来るのではないのでしょうか。
さらに興味深いのが、何かと龍に関わることが多いということです。なぜこうも物部氏は龍と関わることが多いのでしょう。
水に関わることが多いからでしょうか。
福井の権力者は龍神と関わるのが常なのでしょうか。
不思議です。
ただし、先ほども見た地元のWEBサイト『まな姫様の里 SFV建石農園』では、真名姫は「源為朝の子孫とも」と書かれており、まさかの源氏説まで出て来ていました。
それほどの有力者がこの佐開に住んでいたということなのでしょうか。
慕われ続ける伝説
様々な謎と面白い歴史背景とを抱える麻那姫伝説。
真名姫という、心優しく、この土地のために身をささげた存在。
そしてそんな真名姫を今でも慕い、信仰し、伝承し、感謝し続ける人々。
これらがすべてあるからこそ、私のような人間にも伝わり、心打たれるのです。
これがこの先の未来まで、大野にとどまらず、福井県の伝説として、そしてそれよりももっと広く多くの人々の心の中に響くと、私は良いと思います。
参考文献
『越前若狭の伝説』
『大野市史・地区編』
『奥越前の昔ばなし』
『福井県の伝説 第1集』
『福井県史』
WEBサイト『まな姫様の里 SFV建石農園』
WEBページ 国土交通省近畿地方整備局 福井工事事務所『九頭竜川流域誌』
基本情報(アクセス)
十文字蛇淵
自動車 | 荒島ICから8分 |
駐車場 | 五条方発電所前 |
麻那姫湖の麻那姫像
自動車 | 荒島ICから13分 |
駐車場 | あり |
水神宮
自動車 | 荒島ICから7分 |
駐車場 | 無し |
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