収束祈願「疱瘡の神」のお守り伝説と組屋六郎左衛門【小浜市】

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福井県小浜市中心地の港町。ここは昔からの大きな港町の風情が残っています。

その港町のなかに玉前区というところがあり、その区に「疱瘡の神」の伝説が伝わっています。

今回はこの伝説を求めていきます。コロナの時代になり、この「疱瘡の神」が再び脚光を浴びることになろうとは。まさか小浜市にお札が保管されていることなど知らず、現地へ赴いていました。

「疱瘡の神」の伝説

「疱瘡」というので、疫病つまりは感染症に関する神様ということでしょう。一体どんなお話なのか、まず、伝説の内容を見て行きたいと思います。

 永禄年中(1560ごろ)組屋六郎左衛門の船が北国から、ある老人を船に乗せて小浜へ帰ってきました。老人は、しばらく組屋の家に暮らしていましたが、ある日旅にでることになりました。旅立つまぎわに、「私はほうそうの神である。お世話になったお礼に守り神をさずける。」と告げて家を出ようとしました。六郎左衛門はその老人の姿を書き写しました。ここから組屋六郎左衛門と書いたお守り札とその老人の姿を写したお守りを祀るとほうそうは軽い症状でなおりました。
 戦後も町の老人たちは、家に子どもが生まれると、組屋家へお守りをもらいに行っていました。昭和四十二年この組屋家も小浜にいなくなったといいます。

参考:『越前若狭の伝説』

小浜城築城の伝説にも登場してくる「組屋」。一体どれだけ大きな家だったのでしょうね、この「組屋」という家は。小浜の町ではかなりの権力者だったのでしょう。

この組屋という家は、室町時代からの豪商で、小浜藩の御用商人だったそうです。

この疱瘡の神のお守りも、そんな豪商が考え出した商売だったのかとも思わなくはないですね。

伝説の「疱瘡の神の老人」が本当にいたとしても、それをすぐさま書き写してお守りとして世に出そうと考えられるのは、やはり商売上手だなぁ、と思います。

疱瘡の神の伝わる地「玉前」の今

昭和42年って、つい最近まであったのですね。

ただ現在の玉前には、疱瘡の神の名残も組屋家の名残もありません。

しかし、昔ながらの港町は残っています。路地や昔の建物も多く、「昔の街並み」が好きな方は、この小浜の町は好きだと思います。

所々に地蔵さんもありました。

疱瘡の神のお守りは今もある

今回のメインは、「疱瘡の神」です。組屋さんが書き写した老人の姿ですね。

いままでこれが、現存していることすら知りませんでした。しかし、ここへきて表舞台へ出てきたのです。

新型コロナウイルスという感染症です。疱瘡も、大きな伝染病として恐れられました。

つまりは、この疱瘡の神の出る幕ということですね。

 

そして、このお札が現存していることを知るきっかけとなったのです。

まさか、現存しているとは思わなかったので、すごく興奮しました。今までどこにあったのですか。博物館にも展示していないのでしょう。

2020年の5月くらいに、小浜市食文化館でそのお札などが特別公開されました。

情弱の私は時すでに遅し・・・。

しかし、その画像が小浜市食文化館と小浜市のページからPDFファイルをダウンロードできたので、早速ダウンロードしました。

「新型コロナウイルス 早期収束祈願」だそうです。

ただこの前再度そのページに飛ぼうとしたら行けなくなっていたので、今はもう入れないかもしれません。

また展示などの機会があったら、ぜひ生で見たいものです。基本は小浜市内で所有しているようなので、今後この情報を注意してみて行きましょう。

今でもすがる思いの伝説

疱瘡の神という、現代でもすがりたくなるような神様。そしてそんな神様が直接授けたとされるお守りが今もあります。

この伝説を知っているだけでも、地域の人やその地に訪れた人にとっては心の支えになるかもしれません。

またこのお守りが展示されることを願いましょう。

参考文献:『越前若狭の伝説』

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