史跡や伝承伝説を見ていく中で、関連してくる有名な歴史や歴史上の人物などの話が出てきて、伝承伝説の元になった史実もあります。
古墳時代から南北朝、戦国時代、江戸時代までの有名な偉人や武将、城跡の歴史はもちろん、集落史や戦災史、町がたどった庶民の歴史などの近世近代も取り上げます。
蚊谷寺の伝承伝説と歴史~菩提の石塔・八幡神社・地名について【越前町】
福井県旧宮崎村、越前町蚊谷寺。読み方は「かだんじ」と読む。ここはかつて朝倉義景とも縁の深かったとされる場所のようだ。ただし武田という苗字にも因縁を感じる場所。今回はそんな蚊谷寺の言い伝えや歴史、地名・名前についてみていこうと思う。
白山稚児神社~御祭神・名の由来と丸山に鎮座する由緒【勝山市】
福井県勝山市猪野と平泉寺境界に勝山城博物館があり、その敷地の丸山に白山稚児神社がある。何の神を祀られるのか。大日孁貴尊、日之御前社などが祀られる。かつて稚児御前という神を祀って社を立てたというがその神のことなのか。
無悪条里制当時の起点石【若狭町】
福井県若狭町無悪に歴史的石が存在していました。かつて四面に区分けする条里制を行った際に測量の起点とする石だったということです。あまり詳しくはないのですが、歴史上重要なものであるとのことでここに記します。
加茂神社(下田山左近)坂上田村麻呂の田村開発の伝説地【小浜市】
福井県小浜市中名田下田字山左近に加茂神社があります。いかにも由緒のありそうな加茂神社の歴史、御祭神由緒を見て行きます。坂上田村麻呂が加茂別雷命とであった地であるとされます。
法泉寺(中名田深谷)の名前の由来になった伝説と裏山の埋葬地【小浜市】
福井県小浜市中名田地区深谷に法泉寺という禅宗のお寺があります。このお寺にはとある名前の由来になった伝説が伝わっています。また、裏山にある埋葬地も見ていこうと思います。
白龍神社の言い伝えと御岩【福井県大野市穴馬村下山】
福井県大野市元穴馬村の下山に白龍神社という神社があります。この神社は何を祀っているのか。どんな言い伝えがあるのか。今回元区長さんにお話を聞くことができたのでその内容も併せて紹介します。
福井市営火葬場の3代の歴史~足羽山火葬場跡・小山谷荼毘所跡・福井市聖苑
小山谷火葬場・足羽山火葬場・福井市聖苑と、福井市の市営火葬場は現在三代目に当たります。かつて小山谷荼毘所という物があったり、福井市七大荼毘所があったりしたようです。今回は市営火葬場をメインに見ていきます。
敦賀町営火葬場跡(湯山火葬場)と湯山墓地【敦賀市】
福井県敦賀市の元公営火葬場があった跡地。火葬場跡地を見ていきます。湯山火葬場といわれた火葬場とその歴史を辿ります。まず敦賀に最初に公営火葬場が登場したのは明治時代、当時の関口町長は時期、水害に見舞われ、伝染病が発生したために、明治三十五年に当時の土葬習慣が改められ、共同埋火葬場を建設するなど尽力したということが『敦賀市史 通史編 下巻』に書かれています。
本郷軌道(若狭本郷駅~父子)廃線跡と地元の方の話【おおい町】
福井県おおい町の若狭本郷駅からかつて延びていたとされる本郷軌道。その廃線跡を辿る。地元の方の話や海元寺周辺の廃線遺構。郷土資料から歴史と廃線を探していきます。
三度栗の伝説~親鸞聖人の旧跡名所【鯖江市舟枝】
福井県鯖江市中河地区舟枝に親鸞聖人旧跡である三度栗という場所がある。三栗島ともいい、石碑なども立っている。この地に伝わる伝承を掲載する。朝倉義景が落馬したという伝説もある。
鋳物師の名桜、鋳物師の由来~桜吹雪を見ながら~【南越前町】
福井県南越前町の桜の穴場名所。鋳物師の桜を見に行った時期は満開からの桜吹雪の時期であった。鋳物師の読み方は「いもじ」と読む。美しいその風景に魅了された。なのでここに鋳物師の簡単な言い伝えも紹介しながら、桜の風景を紹介していこうと思う。
獅子岩伝説と桜並木~長沢の弁慶・杣山合戦水攻めの言い伝え【南越前町】
福井県南越前町長沢に丸山という所があり、そこには獅子岩という場所がある。その場所には弁慶の伝説や杣山合戦の伝説が残されている。またその周辺には今は桜並木が植えられており春には桜が咲き誇っている。
庚申塚(沓見)の伝説と桜~古の庚申信仰と季節の風景【敦賀市】
福井県敦賀市沓見の敦賀総合運動公園近くの交差点、運動公園西口近くに石の祠がある区画があります。この祠について見て行くとともに春には桜が咲くのでその様子も見ていきます。
三方石観世音の伝説~手足の木造・片手観音【福井県若狭町】
福井県若狭町。読み方は「みかたいしかんぜおん」、別名片手観音。その名の通り石に彫られている。普段は非公開で御前立があり、本尊御開帳は33年に一回。境内の写真と共に由緒・伝説を見ていく。
天保の飢饉餓死者供養墓と天保救荒碑~飢饉の歴史と大井帯刀永昌【越前市】
福井県越前市武生内にいくつか天保飢饉餓死者供養墓があり、中には悲惨な伝承も伝えられている場所もある。飢饉救済の飛騨郡代大井帯刀永昌と本保の武生市本保町天保救荒碑、かつて餓死者を埋めたという称名寺裏や供養塔の立つ信越化学工場沿いの碑を見ていく。
若狭浦の名前の由来と古墳「王塚・黄金の鶏」伝説【小浜市】
福井県小浜市内外海地区に若狭という集落がある。若狭小浜の若狭である。なぜこの名前になったのか、その由来を見て行く。またその村に伝わる伝承と古墳の関係も見て行く。