福井県坂井市三国町。ここに三国港修築記念碑という碑が建っています。これには恐ろしく残酷な伝説が伝わっている曰く付きの碑です。
松平忠直狂気乱行伝説。一国女のために妊婦の腹を裂いて殺したと伝わるまな板石。それがこの石なのです。
松平忠直の狂気乱行伝説
松平忠直
若殿(忠直)が城下を歩いていると、美人の絵が飛んで来た。忠直はこの女を探させ、茶屋の女を見つけて、召し抱えた。
この女は美人だが、御殿へ来てから一度も笑わなかった。若殿は笑った姿を見たいと思っていた。ある時、足軽が庭先でイタチを捕まえてなぶり殺した。そのイタチは妊娠していた。そこで腹を切って子供を出した。それをかの女が見ていて、にっこりと笑った。その笑みのかわいらしさは例えようがないものだった。
その有様を若殿が見ており、喜ばれた。イタチでこれだけ笑ったのだからと、次は人間のはらみ女(妊婦)を探し連れて来た。福井県庁前方、むかし福井中学の校庭があった所に一本松という松があって、そこではらみ女を殺した。
三国の宿にまな板石という大きな岩がある。はらみ女はこの上で殺された。今でもこの岩にさわると怪我をする。
参考:『越前若狭の伝説』より『浜四郷村誌』
三国漁港の謎の二石
三国の漁港に行って見ると二つの大きな石が立てられてある。之に二つの伝説がある。昔福井の殿様に一伯様と云うのが居られた。その奥方に美しい方が居られたが何時も笑ったことがないので一伯様はその笑顔を見たくて堪らなかった。或る時場外に殺人があった。その時奥方は初めて笑ったので、その後は一伯様は人を殺して見せてはその笑顔を見るのを楽しんでいた。後になると二人の殺人を見なければ笑はなくなったので一伯様は身重な女だと見れば引つ捕えて二つの大きい石の上に乗せて殺した。藩主のこの乱行に心配した家老は其の大石を何処かへ捨てようと思案した末三国の九頭竜川口へ捨てたのであった。人殺の台石に使用された石は永く河口に埋もれていた。
漁港に立てられてある石の斑点は身重な女の殺された恨みの血であると。
今一説には、昔北海道の或る物持から庭石にと注文を受けながら年に一度の出舟までに間に合わなくてそのまま河口に捨てられて埋もれていたのがこの石であるとも云われている。何れにせよ三国漁港修築の祈念のために建てられたものである。
引用:『福井県の伝説』
その他、『忠直乱行』には、妊婦殺害の他に、百姓たちが平たい石の上で、頭蓋を砕かれたとも。
中々の衝撃的な伝説です。
この伝説はある意味禁断の伝説。
社会の風潮的にもそうですが、色々な人が不快に思いそうな伝説です。
ただ郷土資料に載っており、さらに伝説の舞台まで記されているというのですから、ここに載せないわけにはいきません。
この忠直の伝説についてはまな板石以外にも舞台があるので、また別にまとめた記事を書きますが、とりあえず今はこのまな板石に絞って、詳しく話をすすめたいと思います。

写真で見るとその大きさがわかります。
笏谷石でできているのでしょうか。なぜ二つあるのかは不明。元々二つ繋がっていたのは、元は離れていたのかもよくわかりません。
後ろには民家があり、まるで民家の敷地内に立っているかのような有様です。
台の上には、花立のようなものがあり、枯れていますが、花が手向けられていたのであろう様子が伺えます。

この建物や観光用な飲食店、港の建物が並ぶ通り。車通りも多いです。ここにそんな曰く付きのものがあること自体異様です。
またなんでそんなものを…。これは記念碑になっていますが、なぜそんなものを記念碑にしたのか。
三国港修築記念碑とまな板石の説明板
まな板石があるのは、おくらまちというかつて米倉があった場所です。
碑の石は、先ほども記した通り、正方形の平たい石が二つ並んでおり、それでいてなぜかそれが角で立っている状態になって、だいぶ不安定な立ち方をしている不思議な碑です。そしてその石は見る限り笏谷石。
正面の下に碑文が銅板?で書かれております。

古い書き方で漢字も複雑、しかも見にくくなっております。かみ砕いて書くと。
三国港は九頭竜川の河口に位置し、王子は商漁船が出入りし大変賑わったが、堆積する泥砂のために港内の水深が浅くなり、且つ沿岸の陸地が小さくなり、大きな船が港に着けなくなり、港は衰退していった。
本県沿岸は特に魚介や海藻の繁殖に適した海であるが、当港はそれだけを生かせる施設は伴っておらず、識者は深く憂いていた。
県はそれを見て、昭和四年度以降三年継続事業として、工費拾四万円をついやし、加工の水面五千余坪を埋めたて、その前面に岸壁及び船揚場などの設備を造り、商港・漁港として設備を完成させた。沿岸一帯の当業者はその便益を受け、再び昔のように栄え、地方発展に役に立つことは少なくはない。
本工事を完成するにあたり概要を記録し記念とする。
昭和七年四月十日
元福井県知事市村慶三
元福井県知事斎藤直橘
前福井県知事小濱浄鑛
福井県知事大達茂雄
参考:『三国港修築記念碑』『みくに今昔あれこれ その二』
という内容となっています。
ただこの碑には裏の顔があります。
この碑の裏にも碑文があるのです。
表からは絶対見えないし、知っていないとあるなんてわからない。しかも人の家の前。
裏に回ってみようとするも、碑文を間近で見ることもかなわない。そんな状況になっていました。そもそも人の家の敷地内のようにも思えず、中に進むこともできず。一応写真は撮ってきましたが、正面からは撮れず、写真撮影場所が人の家の敷地内の可能性も否めないので、その時の写真は掲載しないでおきます。もちろん読むこともできませんでした。
そこで先ほども少し参考にさせてもらった『みくに今昔あれこれ その二』に、内容が載っていたので、ここに引用しようと思います。
この石には不思議な伝説が二ツ、語り伝えられています。そのことを私は耳にいたしましてから再度の夢見に、どうしてかこの石を明かるい世界へうかばせたいと思いまして、記念の碑に建てることにいたしました。
伝説の一
北海道のさる物もちから庭石にと注文を受けながら、年に一度の出船に間に合わなかったので、そのまま港口に捨てられ長い恨みをのんで埋もれていたのだ。
伝説の二
福井藩主松平忠直卿の乱行沙汰の節、腹らみ女を切った台石に使われていたのを、恨みの妖魔として河口深くに埋もれていたのだ。
漁港開築の記念に謎のまま、永遠に残したいものと希って居ります。
昭和七年四月十日 株式会社 飛島組 代表 飛島文吉
引用:『みくに今昔あれこれ その二』
碑文が刻まれた年月日も表のものと同一。建設当時に作られたものということです。つまり、この碑は元々、「そういうもの」だったということは、知っていたということだと思います。
おそらく、本当に工事中に河口付近から出てきたという可能性は高く、そうでなければこんなものをここに碑としておくということはないでしょう。この一帯の業者や知事たちがこの碑の話を知っていたかは不明ですが、少なくとも、港の建設・工事に携わっていた飛島組という会社の代表がこの話を聞いて、施工した人間として、一人でその不気味な話を抱え込んで生きていくことは出来ずに、裏に、ひっそりとこの話を刻んだと、そういう考え方も出来そうです。
まな板石の現代の話
まな板石の伝説は『越前若狭の伝説』などを見てきた通りでありますが、『みくに今昔あれこれ その二』にはこのまな板石に関連したちょっとした小話が書かれています。
この石は『まないた石』と昔から語り伝えられてきた石で、私も子供のころ親父から何度も聞かされていたものだった。
「一伯さんが(福井藩主忠直)はらみ女を、この石の上で切ったので恨みがこもっているんだ…。」
「福井藩が取り潰しになった時、船で沖へ捨てに来たとき、海が荒れていたもんで、河口に捨てていった。」と話してくれたりした。
それが長い年月埋もれもしないで、メガネ橋のところから下る細道の河のところにあったもんだ。恨みがこもった石で、子供が何人も溺死したり、災いがあるといって怖気られていた石だった。と聞かされていた。
「まな板石」の伝説は、いまでも宿区の年配は知っているだろう。
碑文に書かれている昭和七年四月、築港の竣工式がこの現場で挙行されたのを、私は覚えている。
引用:『みくに今昔あれこれ その二』
と書かれており、このあと、この語りの人の、竣工式での思い出が語られています。
『忠直乱行』の書かれたときのまな板石の様子は、周辺に花畑があったようです。今では完全に民家の一部のようになってしまっていますが。なお、この著者の考えでは、まな板石は嘘の話。ということのようです。
まな板石の話は作り話か
著者の考えでは、
五十年前の護岸工事か何かで、飛島組の人夫が奇妙な大石を見つけた。大きすぎて平たすぎて、敷石にも庭石にも使いかねる。知恵者がいて、「一伯さんのマナイタ石というのはどうだ。」それがいい、それがいいということで、たぶんこんなことになってしまったにちがいない。見る人によっては石肌の淡紅色に、潰された孕み女の血の色を見るかもしれない。しかし、それにしても露骨すぎる。露骨すぎて、いかがわしかった。
引用:『忠直乱行』
と述べています。
この著者は、忠直乱行の伝説を否定したいというよりかは、あからさまな描写を否定したいというような印象をうけます。
ただし、この著書の書き方は、まな板石の伝説そのものを検証前から否定して作り話だと決めつけているあたり、あまり良い印象は受けません(この後で検証されています)。また、では一体この異様な形の石はなんなのか。そこを追求しないあたりが、ただこのまな板石を否定したいがための書き方のような印象を受けます。
歴史的考察、史実、そういったものを研究する人にとっては、この伝説は疑うべきものなのでしょう。
忠直がおかしくなったという話は本当らしいですが、妊婦を切ったのか、まな板石を使い、それが三国にあるこの石なのか。それについては歴史研究者が伝説を信じて「良し」とするところではないのは理解できます。
それに、記念碑になっているという点で言えば、こんな石を記念碑にしてしまっているということで、それっていいのかという問題。それはつまり、この記念碑に何か観光的な要素を付け加えたかったという、そういう思惑が見え隠れしているような気もしなくはありません。
ただ民話や伝承伝説としては、言い方は悪いですが、面白い伝説であり、これが完全な嘘である確証はないという点から、伝えることも必要なのではないかと思います。
越前松平家の末裔や忠直好きの人からしてみれば、こんな不名誉な伝説はすぐにでも闇に葬りたいとは思いますが。
参考文献
『福井県の伝説』著者河合千秋 出版昭11
『越前若狭の伝説』著者杉原丈夫 出版1970
『みくに今昔あれこれ その二』著者三国今昔懇話会 出版1998.6
『忠直乱行』著者中嶋繁雄 出版1988.2
三国港修築記念碑
基本情報(アクセス)
| 最寄り駅 | えちぜん鉄道三国港駅から徒歩3分 |
| 自動車 | 金津ICから20分 |
| 駐車場 | 三国港駅前 |


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