昔、大野藩に半兵衛さんという飛脚がいました。そんな半兵衛さんの墓が、大野市上庄地区若生子若生子坂峠にあります。
今回は、この「裸半兵衛の墓」への行き方と、私が実際にたどった道、そしてここに半兵衛さんの墓がある理由と言い伝えを伝えていきたいと思います。
現地への道のり
林道への入口
現地は、林道を進んだ先にあります。もちろん観光名所というわけでもありません。
林道の入口は大野市森山からの道です。森山集落には、山へ入る道が一本あり、今回はそこから向かおうと思います。
ただ正直、正規ルートがどこなのか、どこから行けばたどり着くことができるのかも怪しかったです。
しかし、この森山集落からの「二本松」ルートをつかって峠まで行っている人がいるみたいなので、それに倣って森山集落の二本松ルートでいきました。
二本松
目印となるものが少なく、迷う可能性大です。
少し山を登っていくとすぐに、細く草も多く、舗装もされていない道が続きます。正直不安しかないです。
しかし、そんな不安に耐え続けて進み続けると。
この二本松の説明板のある広場に着きます。
この説明板も面白い内容が書いてあるので、読んでおくのもいいです。
ここら辺は少し広場になっていて、車をとめても邪魔にならないようなところです。神経をとがらせながら林道を登ってきたので、ここで少し休憩を取りました。
ここから上、ゲートみたいなのがある道の上へ登っていきます。
さらに不安は募りますね。
道中の注意点
もう舗装されてないというよりも、中途半端に舗装の跡があったり、舗装が数メートルだけで終わったりのところがあったりと、それが逆に恐ろしいです。
車がガッタンゴットンすっごいことになります。なので、スピードは上げずとてもゆっくり行くべきです。車が壊れます。
あと、車体が低い車だと難しいと思います。
道中の倒木
私が訪れた時は、このような大木が道に横たわっていました。今は無くなっているかも。
今回、車で来れるのはここまでです。ここからはひたすら林道を歩いていくしかないですね。(クマよけは必須ですよ)
さあ、登山の開始です。
道しるべ
クマの恐怖に耐えながら林道を進むと、ここへ来てやっと「裸半兵衛の墓」の案内現れます。
しかし、ちょっと行くとすぐに分岐が現れます。しかもこれ以降裸半兵衛の案内は消えます。
こんな分岐が3回あります。当時の私はそれはもうどちらに進めばよいのか本当にわかりませんでした。しかし、ある考えだけもってすべて正解のルートを選びます。
裸半兵衛の墓にたどり着くために
ここで裸半兵衛の墓にたどり着くために重要なのは、
坂を下らないこと
です。
裸半兵衛の墓は峠にあります。なので、分岐があっても下る道に行かなければよいのです。
実際、いくつかの分岐すべて、下る道か平衡の道かの二択です。その下っている道ではない方を進んでいくのです。
道中は獣道
もはや、人の歩く道でない場所もあります。
しかし行きましょう。
私が行ったのは冬でしたが、夏あたりに来るとどうなっているんでしょう。進むこともできない気がします。(逆にちゃんと草刈りされているとか?)
さあ、不安ここまで意気込んでおいて、不安絶好調です。
裸半兵衛の墓到着
林道か獣道はわからないような道を歩いていくと。
ついに裸半兵衛の墓に到着です。
林道から5~10メートル外れた所に石と説明板があります。そしてその辺りは少し盛り上がっているようです。下の方を見ると、道らしきものがあります。これが若生子坂でしょうか。
「裸半兵衛の墓」の伝説
この裸半兵衛の墓には以下のような言い伝えがあります。
むかし裸半兵衛という飛脚がいました。殿様のたいせつな手紙を持って若生子へ出かけましたが、途中で手紙を落としてしまいました。半兵衛は殿様の怒りにふれてしまい、首から上だけを出した状態でここに埋められ、ここを通行する者に一人一引きのこぎりで・・・(かなり残酷な描写なので書けないよ)。
半兵衛の魂は手紙をさがして夜になると、若生子の坂をさまよいました。村人は「夜の夜中に若生子の坂で裸半兵衛が火をともす」と歌い、若生子坂の途中に墓をたてたのです。
参考:『越前若狭の伝説』
という、複雑な事情を抱えた場所なのです。
裸半兵衛の説明板にも同じようなことが書かれているので、おそらく本当に。
「裸半兵衛の墓」という名前について
ちなみにこの「裸半兵衛」という名前ですが。
「裸半兵衛」なんて、やたら珍しい名前だなぁ。と思いましたが、この人の名前が裸半兵衛というのではないそうです。
一番最初にも名指ししていますが、この人の名前は「半兵衛」です。
裸半兵衛の「裸」は「裸の墓石」という所から来ています。
では、裸の墓石とは何か。
先ほどの伝説にもありましたが、半兵衛さんは大野藩の殿さまの大切な手紙を落としてしまいました。いわば罪人です。
しかし、そんな人ならば失敗を起こしてしまうものです。それに加えて、酷い最期を迎えてしまいました。しまいに、幽霊となってまで手紙をさがし続けているのです。
そんな半兵衛さんの為に、村人は墓を立ててあげて弔いたいと思いました。しかし、藩の罪人を村の人が弔い、勝手に墓を立てるなど殿様が知ったらどうなるかわかりません。
なので村人は、ただの自然石を、文字も入れず加工が全くされてない「裸の石」を墓として建てました。そうすれば、だれの墓かもわかりませんし、もっと言えば墓だということもわからないかもしれません。
そんな加工のされていない、墓かどうかもわからない「裸の状態の墓」が建てられ、半兵衛さんを弔ったという意味で、いつのころからか「裸半兵衛の墓」と言われるようになったといいます。
伝説と熊に怯えた道中
今回は、村の伝承伝説の最強クラスのお話でした。しかしここは重要な場所なのです。
かなり惨いことになっているのでここでは書けませんが、気になる方は図書館や現地へ行ってその全容を見てきてほしいです。
まあ、この時の私は熊に怯えすぎて思いにふけるどころではなかったのですがね・・・。ちゃんと対策はしていきましょう。
参考文献:『越前若狭の伝説』『奥越前の昔ばなし』
基本情報
正直アクセスとか正しいルートとかは全く分かりません。
マップは、一応森山集落の入口にしておきます。
帰りの滑落には十分注意してくださいね。
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