朝日山不動寺の由緒・伝説と境内~人々を救う不動明王【福井県福井市】

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朝日山不動寺

福井県福井市木田地区の足羽山麓から少し上がった辺りに不動寺があります。

福井の災いを封じるために始まり、眼病治癒の伝説へ続き、現在は節分の豆まきや厄除けの御祈祷などで有名であり、強力な厄除け招福、当病平癒などの徳があります。

今回はその不動寺の境内と伝説を取り上げ、福井市を代表する不動寺の様子をお届けします。

地理

朝日山不動寺

福井市の中心部、街中にあります。

足羽山の麓付近にあり、足羽山自体が福井の中心部。福井駅からも歩いていける距離で、福井鉄道も近くに通っているので鉄道で行くことも可能。

また北陸道(北国街道)沿い付近にも位置しており、中心地且つ街道沿いの町にあるということでかなり有名で信仰する人も多い印象です。

寺院が多い足羽川の南(橋南)ということで、寺院の密集地に不動寺もあります。

そんな中で平地より少し上の山腹にあるということで、特に存在感が増しています。

由緒・始まりの伝説

朝日山不動寺

不動寺
宗派:天台宗

かつては持宝院の護摩堂であったといわれている。
参考:『足羽の昔ものがたり集』

 正徳元年(1711年)八代藩主松平吉品公のときに火災、凶作、大飢饉、大風洪水と打ち続く災厄に住民の生活は塗炭の苦しみにあえぎ、対策に藩の首脳たちも頭を悩まし苦慮の毎日であった。ある日夢のお告げで、家老に「朝日のあたるところに不動明王を安置せよ」と諭され、早速現在地に鎮座されたのが不動寺の始まりとされている。
 当時この地に本然祖源石匠の比丘尼が庵室を構えており、藩の達しにより内田正之なる石工に不動尊の彫刻を依頼した。これを請けて内田氏、岩肌の何処に刻むかその場所を定めんと朝早く当山に参った折、旭の岩壁に燦然と光るところあり、その輝きの内に不動の霊像が彷彿と出現されたので直ちにその場所に写りしままのお姿を彫刻されたと伝えられている。
引用:『足羽の昔ものがたり集』

護摩堂谷は木田横町の裏山手にあり。石匠の家比丘尼の庵室なとあり。上は数十丈の巌壁にて蔦かつらはひかかり、初冬のころは紅葉見事にして、騒人遊観の所なり。▷いにしへ持宝院繁昌の時護摩堂のありし所なりと云。
引用:『新訂越前国名蹟考』

不動町
足羽山麓(藤島神社の境内に属す)に不動堂あり、古来其山下を不動町と称す。
引用:『福井市史 : 稿本 上』

福井で起こった災厄を鎮めるために祀ったのが始まりということです。護摩堂はもとからあったということなのか、それとも不動明王を祀った時に護摩堂になって、その後寺となったのか。そのあたりどうなのでしょう。「石匠の比丘尼が庵室を構えており」とあるので、もとは庵があったという地というのは確定なのだと思います。地名も、「不動町」とか「護摩堂谷」とかいって、この二つはセットのようになっています。

不動堂

朝日山不動寺

いまでも山肌は丸見えで、笏谷石がよく見られます。おそらくはこの笏谷石に彫ったということなのでしょう。

朝日山不動寺

だいぶ年季が入っている不動堂、お堂です。

朝日山不動寺
朝日山不動寺

不動堂前の石段や敷石はすべて笏谷石。足羽山に鎮座する不動寺にふさわしい様子です。

朝日山不動寺
朝日山不動寺

許可を得ています。

中もかなり年季が入っており、良い雰囲気です。まさに信仰の香りがします。

朝日山不動寺

十二支の守り本尊が安置されています。皆ここにお参りに来るのです。

ろうそくが立てられていますが、皆さんが自分の守り本尊にお参りに来た証です。

溜池の行と伝説

荒行

 岩山の麓本堂横に清水の溜池があり、後十五分で新年という大晦日、渡辺良昭住職が水垢離の行をなし、当山を信仰する人々の一年の厄禍を取り払い、心身ともに清浄な身体で新年を迎える天台宗ならではの荒行の場である。
引用:『足羽の昔ものがたり集』

継体天皇関係

 ここは継体天皇の皇子桜井王(捥木皇子)が近くに住まれた折いつも使われた桜井の井戸がこの溜池であるともいわれているが詳らかではない。
引用:『足羽の昔ものがたり集』

眼病治癒伝説

 この清水は眼病にも効くといわれている。その昔眼病に悩む婦人がここに二十一日間尊像に平癒を祈念したところ、白髪の老人が現れて頭をさすること三度、まもなく治癒したという。以来眼病を治す不動寺としても崇められ、尊像を拝してこの清水で目を洗うとよく効くとして清水を持ち帰るものが後を絶たない。
引用:『足羽の昔ものがたり集』

以上、不動寺の清水についての伝説です。様々な言い伝えが伝わっているようですね。

不動寺には2つ清水があります。

朝日山不動寺

一つ目は不動寺入り口にある「御清水」です。階段を下りて清水までたどり着きます。笏谷石が積まれた清水はこの地ならではの雰囲気を醸し出しています。

二つ目は、不動堂奥にある「奥間歩御清水」です。

朝日山不動寺

柵があって、それ以上は岩壁に近づけないので、写真は撮れませんが、この辺にあります。

こちらが荒行などをする方なのかもしれません。それにしてももろい笏谷石ですから、かなり剥がれ落ちていますね。

               

『福井県の伝説』に掲載されている内容

不動明王(不動町)
 むかし、市内に或る石屋があった。或る夜不思議な夢を見た。今の不動町のあたりを歩いていると、なんともいえぬ神々しさにうたれて来た、思わず傍の崖の上を見上げると、山腹に、恐ろしく威厳を持ち、頭、顔からだ全体から火を吹いた一人の仏体がきらきらと輝いていた。あまりの事にあツと叫んだ時に夢は覚めて我にかえったのである。
 しかし石屋の頭の中には依然として神々しい仏様のお姿がまだはっきりと浮かんでくる。夜はまだ明けなかったが彼はがばっと起きて単身今の不動町の山麓にやってきた。あちらこちら夢で見た光景をたよりに探し回っている中に夜は次第に明け初めて、やがて輝かしい朝日が美しく山を照らし始めた。
 と、其の時である。山の中腹に夢で見た輝かしい仏のお姿が現れた。暫し恍惚としていた彼は、何事かを決心してわき目もふらず我家へかえりノミを手にして引返し、崖に攀じて目に寫るがままに心に感ずるがままに一心不乱にノミを振った。一念凝った彼の魂は崖の中腹に輝きだした。「おおっ」と我ながらその作の見事なのに見とれていた彼の目はどうしたことか次第に光を失ってとうとう見えなくなってしまった。
 しかし彼は人を恨まず世を憤らず、満足に余世を送ったという。この石屋の命かけての仏像こそ今の不動明王で毎月二十八日には盛なお祭りが行われ、眼病除けの御利益があるといわれて何時も参詣人の絶える事がない。
引用:『福井県の伝説』

先ほどの郷土誌とはまた違うタイプの伝説が載っていました。

不動明王を彫った石工が、目が見えなくなってしまった。なかなかどうしてそんな結末にしたのだ、という感じの伝説です。

つまりはその石工の魂がこもった不動明王ということなのでしょう。ただ夢のお告げで彫っただけでなく、身体の何かを犠牲にしてまで魂を込めたお像。ということなのでしょうか。

それを今、歴史を受け継いで、霊験が伝わっているのです。

霊験(ご利益)

 御本尊の不動明王は身体堅固、善星皆来悪星退散、当病平癒火難盗難病難など一切の災難を退け、家内安全商売繁昌息災延命諸縁吉祥(伝来の古書)と霊験あらたかなものとされ、多くの信者のお詣りが絶えない。毎月二十八日の例祭には参詣者で終日境内が賑わい、特に商売繁栄を願う信者は例祭を欠かしたことが無いといわれている。また正月三日間の初詣大護摩祈祷と二月の節分厄除祈願には数人の警官が出動して整理にあたらねばならないほどの大混雑で、信仰がいかに篤いかを物語っている。
引用:『足羽の昔ものがたり集』

とにかく何でもありです。

福井市で厄除けに困ったらここに来るべし、という感じです。

伝説の言葉を借りるなら、福井藩の災厄を鎮め、魂がこもった霊験あらたかな不動明王。並大抵ではない、強力な力がある不動明王。伝説を知るとその霊験やご利益がさらに大きくなる感があります。

境内

朝日山不動寺

境内には笏谷石でできた数多くの祠が存在します。

水子供養

 昭和五十六年熱心なる信者の願いにより、現住職が水子地蔵尊を建立した。以来亡き水児の冥福を祈る心情の親たちが懺悔の念で供養参詣するもの日に多きを数えている。
引用:『足羽の昔ものがたり集』

上写真の一番右にあるのが水子供養。たくさん並んでいます。

弁財天

朝日山不動寺

配置的にこちらが弁財天。

笏谷石の祠と、笏谷石の岩肌、笏谷石の灯篭で笏谷石づくし。祠も精巧でかなり見ごたえがあります。

聖徳太子(太子堂)

朝日山不動寺

柵があって中に入れませんが、柵の隙間から見ます。

配置的にこれが太子堂。

笏谷石の岩肌に何か彫られていますが読めません。

こちらの祠も笏谷石で精巧に作られています。

それにしてもここはいつ見ても見ごたえがあります。この大迫力はぜひ現地で味わってほしいものです。

稲荷堂

朝日山不動寺

不動堂の一段下に稲荷堂があります。

朝日山不動寺
朝日山不動寺
朝日山不動寺

稲荷堂の中には、稲荷堂と白龍神堂の二つがあります。

稲荷堂は稲荷堂。白龍神堂にはたくさんの白蛇の置物が置いてあります。

稲荷と白蛇。人によっては、なんだかものすごいものを感じそうですね。私は純粋に好きです。

寄進された不動明王

朝日山不動寺

様々な店や会社などから寄進された不動明王が安置されています。

中には笏谷石関連の以前このサイトでも取り上げた丹巌洞のものもありました。

笏谷石にあふれています。

こうして様々な形で信仰されているということが見て取れます。

信仰の地

霊験あらたかな伝説にあふれ、福井を代表する笏谷石にあふれ、そして古くから現代まで続く信仰にあふれた朝日山不動寺。

様々な人を迎え入れ、多くの人の厄除けを担ってきたのでしょう。

この信仰はきっとこれからも続き、この不動明王はこれからも多くの人の厄を払い、人々を守ってゆくのでしょう。

参考文献
『足羽の昔ものがたり集』著者足羽熟年友の会 出版1986.7
『新訂越前国名蹟考』著者井上翼章 出版1980.10
『福井市史 : 稿本 上』出版昭和16
『福井県の伝説』著者河合千秋 出版昭11
朝日山不動寺公式サイト http://fukui-fudoji.com/

基本情報(アクセス・駐車場)

最寄り駅福井鉄道商工会議所前駅から徒歩8分
自動車福井ICから12分
駐車場数台分あり、行事の際は商工会議所の駐車場を利用

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