福井県大野市五箇地区仏原に仏御前の滝という大きな滝があります。
観光の名所として有名でしたが、2018年に雪崩で仏御前へと続く道が通行禁止になってしまいました。そして2020年10月30日にその道が完全に復旧され、今では通行止めの冬季(11月下旬~4月下旬)以外は今では通常に行くことができます。
今回は、そんな仏御前の滝に訪れ、この滝の魅力と歴史や言い伝えを紹介します。
「仏御前」という名前の由来は、まさにあの方なのです。
滝の場所
ここは、仏原ダムに沈んだ仏原集落の上にあります。
今では、国道158号線が通り、車通りもそれなりに多い山沿いの道です。
仏御前の滝は、そんな国道158号線沿いの山道から行くことになります。上画像の看板が大きく掲げられているので、道路を通っていてもわかりやすいです。
「仏御前」という名前
この「仏御前」という名前ですが、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
そう、平家物語に登場する「仏御前」という人物にちなんでつけられた名だそうです。読み方は「ほとけごぜん」です。
京都にある祇王寺でも有名ですね。
平家物語では以下のような場面が印象的です。
加賀の国の仏(ほとけ)という十六歳の女性がいました。あるとき仏御前は「自分は天下に有名なのに、まだ平清盛に召されていない。」と自ら推参しましたが、清盛は「召されてもないのに参ることがあるか。」と怒って、追い返しました。 参考:『越前若狭の伝説』 |
ここでは、仏御前出生の地は加賀の国といます。しかし、『笈埃随筆』によると越前の仏原という所であり、仏原山月窓寺があり、そこが関係している。としています。
残念ながらこの仏原の月窓寺も今はなくなっています。
また、昭和4年の『福井縣大野郡誌阪谷五箇村誌』にも仏御前に関することが書かれていました。それによると、
仏御前は仏原の生まれといわれ、葛が原という出村、また九字の栃澤が出生地ではないかと書かれています。 参考:『福井縣大野郡誌阪谷五箇村誌』 |
昔のことすぎて、出生がわからなくなっているパターンです。
よくあることなので、ここはおそらく、いくら追及しても真実はわからないでしょう。なので、今回は「そういう伝説がる土地」という形で行かせていただこうと思います。
「伝説」というだけでも魅力的ですからね。
仏御前の滝へ向かう
駐車場の後ろに、細い階段がずっと続いています。
登山というほどではありませんが、結構登ります。
ただ道はちゃんと舗装されているので、その辺は心配ありません。それに、思ったより続いていません。5分から10分で滝に着きます。
上写真の左側にあるような場所を歩いていきます。
途中歩道も新調されているので、ちゃんと整備されています。手すりのような柵のようなものもあるのであまり心配はいりませんが、あまり注意が欠けると危険なので、そこはちゃんと気を配って歩きましょう。
仏御前の滝
この滝が、「仏御前(ほとけごぜん)の滝」。
一見見ると、現地でも写真の範囲しか見えませんが、実はこの上にも続いているのです。
ある位置で見上げると、上の方が少し見えますよ。(のりだしたりはしないでくださいね。落ちます。)
この滝について『大野市史』には、
琴洞橋近くの谷川の上流300メートルのところにあり、仏御前の伝説にちなんで名づけられた。 |
とあります。
平家物語に出て来るような人物のゆかりの地という説があるということと、その人物の名前から名付けられた滝がここにあるのは、とても魅力的な事です。
また、その滝のスケールも名前に負けることなく壮大な滝とそこからの仏原集落方面の眺めです。
遊歩道からの眺めです。
下に見える橋が琴洞橋。そしてその下の仏原ダムの底には、集落が沈んでいます。
そんな仏原と仏御前を偲ぶ、仏御前の滝でした。
有名な物語と壮大な自然を味わえる場所
今回は「仏御前」という有名人ゆかりの地、そしてその伝説に因んだ滝を紹介してきました。
平家物語という日本古来の話と、その伝説、そして壮大な自然を一度に楽しめる名所です。ぜひ一度でもこの場所を訪れてみてください。
参考文献:『福井縣大野郡誌阪谷五箇村誌』『越前若狭の伝説』『大野市史』
基本情報
アクセスは、国道158号線沿いです。勝原駅と越前下山駅のちょうど真ん中くらいの位置です。
駐車場は、5台程度しかありません。早い者勝ちのようになっています。
冬季(11月下旬~4月下旬)は通行止めで行けません。
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